高橋義郎のブログ

経営品質、バランススコアカード、リスクマネジメント、ISO経営、江戸東京、などについてのコミュニティ型ブログです。

桜美林大学の専任教員になりました

早いもので5月も中旬に入りましたが、皆様におかれましては、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。

さて、このたび、私こと高橋義郎は、桜美林大学の専任教授職を拝命いたし、4月1日から着任いたしました。

これも、皆さま方からいただきましたご支援のおかげと、深く感謝いたしております。

今後とも、引き続きのご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

高橋 義郎

 

 

経営品質の散歩道(13) 『やさしい経営学』に見る理論と実践

 日本経済新聞社が編集した『やさしい経営学』という本がある。本棚から取り出して改めてパラパラとめくってみると、300頁近い紙面のあちこちにマーカーやメモをしたためた箇所が見られる。それほどにこの本を読み込んでいるかといえば、実はそうではない。ただ、いままで漠然とした知識として持っていた経営学の断片的なものが、活字を通して理論と実例が体系的に見えてきたという意味で、筆者にとって得難い書籍となった。

 同社の経済解説部が、その冒頭に「経営とは何か」と問うている。そこでは、どんな組織が求められているのかを根本から考える方法が学べるもの、とある。そして、その方法論は会社だけでなく、学校や団体など共通の目的を持ったグループ、あらゆる組織にもあてはまり、優れた経営、強い組織の動き方、特徴を理論的にまとめて、学びを活かせる形で示し、戦略論と組織論が二つの大きな柱となっている、と述べている。それらの内容を、野中郁次郎、伊丹敬介、藤本隆宏、御手洗富士夫、新宅純二郎、鈴木敏文、柳井正、沼上幹、加護野忠男、守島基博、高橋伸夫、他の経営学や経営の先駆者が書き語っている。

 仕事柄、やはり目についてしまうのはバランススコアカード(以下、BSC)や経営品質のフレームワークである。たとえば、この書籍には「競争力とは多面的・多層的な概念」という稿がある。その概念を解説した図には、競争力の多層構造として、組織能力→裏の競争力→表の競争力→収益性、といった因果関係が掲載されている。組織能力は、トヨタ方式など、裏の競争力は生産性など、表の競争力は価格など、そして収益性は売上高・利益率など、と注記されているが、取りも直さず、BSCの4つの視点(学習と成長→(変革)プロセス→市場・顧客の視点→財務の視点)の因果関係(フレームワーク)と類似していることに注目したい。

 また、キャノン御手洗社長(当時)によれば、「経営とは、技術や社会の動向について仮説を立て、それを実行し検証しながら、間違っていれば修正していくプロセスだ。中長期の目標を立ててはいるが、日々、修正が必要になる」とある。セブンイレブンを立ち上げた鈴木敏文(元)会長も、常々同様の信条を披露しているが、経営のPDCA,すなわち経営のマネジメントを語る卓見であろう。なぜならば、経営の対象は人、モノ、カネから社会まで幅広く、それらは常に変化をしていくものという背景があるからだ。よく聞く話であるが、中期経営計画はどのくらいの頻度で見直し・修正すれば良いのですか、などという愚問を発する経営企画部門の方々には、噛み締めてほしいところである。

 経営品質賞のフレームワーク(ビジネスエクセレンスモデル)について触れれば、この書籍に書かれているほぼすべてが同フレームワークで説明できると言えよう。ただ読み流すのも良いが、BSCも含めて、自分なりに納得感のあるフレームワークを照らし合わせながら読んでいくことも、無駄ではないと思う。なぜならば、書いてある内容とフレームワークとを比較しながら読んでいくと、そこに見えてくるギャップにこそ「思考の機会」が生まれてくるからではないだろうか。読者の意見を待ちたい。

参考:日本経済新聞社=編(2008:第6刷)『やさしい経営学』日経ビジネス人文庫、日本経済新聞出版社

以上

経営品質の散歩道(12) アイデアのつくり方とホームズの思考

「ブック・レビュー」と称する読書勉強の同好会がある。もともとはバランススコアカード(BSC)を研究するメンバーの集まりが、発展的解消をして読書勉強会に移行したものだ。優れた幹事役の方のおかげで、毎月順番に推薦書を紹介して意見交換を続けている。筆者は2年ほど前から参加させていただいているが、その中で読まれた本のひとつに、ジェームス・W・ヤング著、今井茂雄訳の『アイデアのつくり方』(廣済堂、1998)がある。本文が62頁で、竹内均さんの解説を含めても100頁程度の短編ながら、今でも本棚の一角に存在感を持って鎮座している。1886年生まれのヤングは、アメリカ最大の広告代理店、トムプソン社の常任最高顧問、アメリカ広告代理業協会(4A)の会長などを歴任。広告審議会(AC)の設立者で元チェアマンでもあった。余計な話だが、ヤングは1973年に没しているが、この年は筆者が大学を出て社会に出た同じ年でもある。

 この本には、経営品質に関わるキーワードが散見される。「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外のなにものでもない」などというメッセージは、いま流に言えばイノベーションと同一語ではないだろうか。そして、ヤングは本書で「アイデアが作られる5つの過程」を紹介している。その5つのアイデア創造過程とは、①資料を集める、②心の中で資料に手を加える、③孵化段階として自分の意識の外で何かが自分で組み合わせの仕事を任せる、④アイデアの実際上の誕生(分かった!ユーレカ!)、⑤現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し展開させる、という5段階である。竹内均さんは、データ集め→データ租借→データ組み合わせ→ユーレカ(発見)の瞬間→アイデアチェック、と解説の中でまとめ、先ずもって重要なのは、③と④の意識的活動の時期と述べている。パレート学説(法則)、ブレーンストーミング、KJ法などにも触れ、それらの孵化と発見を支援するヒントとなる手法として紹介しているのも興味深い。

 以上のようなアイデア作成法について興味を持った筆者ではあるが、もうひとつ面白く感じたことは、ヤングが本書の中で、シャーロック・ホームズをたびたび登場させていることであった。シャーロック・ホームズについては、前回の本稿でも触れた。ヤングはホームズが小説の中で出してくるスクラップブックを引き合いに出して、集めた資料から1冊の有益なアイデアの種本を作ることの大切さを紹介している。また、第3の段階に関連させて、ホームズがいつも1つの事件の最中に、捜査を中止して、ワトソンを音楽会に引っ張り出すやり方を回想しているが、創造過程、すなわち「アイデア発酵」の段階での気分転換の重要性を示唆していることに注目したいところだ。

 余談だが、ヤングとドイルの年譜を調べてみると、ヤングはドイルが1882年に病院を開業した4年後に生まれている。有名が「緋色の研究」が1887年、「4つの署名」が1890年、そしてホームズの冒険物の連載が1891年に始まったことを考えると、1906年に20歳のなったヤングは、当然のことながら、ドイルのホームズ物を読んでいたはずで、本書においてアイデアや思考の創造のヒントを、ホームズに求めたことは想像に難くない。

 ホームズの思考法のことである。ホームズの探偵小説は、筆者にとって今でも飽きることはないが、いくつかの名言のうち、「すべての条件のうちから、不可能なものだけ切り捨ててゆけば、あとに残ったものが、たとえどんなに信じがたくても、事実でなければならない」(4つの署名)、というのは興味深いコメントだ。また、ホームズがワトソンに「君は確かに見てはいるが、観察はしていない。見ると観察をするのとでは大違いなんだ。君が何回も昇り降りしている階段は何段ある?知らない?君は見ているだけで観察していないんだ(一部筆者意訳)」(ボヘミアの醜聞)という記述からも、少なからぬ示唆を与えられたものであった。

 今晩から明日の未明にかけて、雪が降り積もるかもしれない。シャーロック・ホームズを再読しながら、雪見酒と洒落込むことにしたい。

参考:ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』廣済堂(今井茂雄訳)

以上

メールアドレス変更のお知らせ

筆者がお世話になっています桜美林大学でのメールアドレスが、ytakaha@obirin.ac.jp に変わりましたことをお知らせします。

なお、個人で使っています「ソネット」のメールアドレスは変更ありませんので、従来通りお使い下さい。

以上、宜しくお願い致します。

高橋義郎

「ISO31000:リスクマネジメント規格の理解と実践」公開セミナー開催


「ISO31000リスクマネジメント規格の理解と実践」を以下のように開催します。

日時:1月31日(火)9:30~17:00

会場:グローバルテクノ社(JR高田馬場駅下車、徒歩5分)

お申込みは、下記のURLまでお願いいたします。

http://www.gtc.co.jp/semn/other_iso/rmp.html

皆様のお越しを心よりお待ち申し上げています。

 

経営品質の散歩道(11) 名探偵の分析に見るBSCの普遍性

 経営品質向上活動を行っている組織では、目標展開にバランススコアカード(以下、BSC)を使っているところが多いと聞く。以前からBSCに深く関わってきた筆者においても、BSCは経営品質やISOマネジメントシステムのフレームワークにしっくりと整合することを良しとして、様々な機会にBSCの有効活用をお薦めしてきた。そこで、ちょっと変わった側面から、BSCによる状況把握を試みてみたい。

 シャーロックホームズは、周知のようにコナンドイルが生んだ推理小説(彼は歴史小説と呼んでいるらしいが)の主人公である。初めて彼の本を読んだのは高校時代と記憶している。川口駅東口にあった小さな書店で買い求め、たいへん面白くて、あっという間に一連のシリーズの文庫本を読み終えてしまった。その余韻がまだ残っていたせいか、その後、大学生のときにヨーロッパに3週間ほど行く機会があり、そのとき立ち寄ったロンドンの大きな書店で見つけたシャーロックホームズの洋書を、衝動的にごっそりと買い込んでしまった思い出がある。

 なかでも「4つの署名」(The Sign of Four)が好きで、いまでも書棚から引っ張り出しては、酒の肴がわりに読むことが多い。当初、この作品のタイトルにはFourの前にtheが付いていたそうだ。のちに単行本にするとき、作者がこれを取りさったといわれている。探偵小説にあっては、題名のつけかたも作者の苦心するところで、「おや、何だろう?」と読者の好奇心なり探索欲を刺激するような題を選ぶことになったのだろう。その意味で冠詞をとりさったのであろうが、日本訳の題名も『4人の署名』よりは『4つの署名』のほうが勝っているようだ。

 ところで、シャーロックホームズはイギリス人だろうから、他民族である登場人物にはなかなか渋い評論をしているのが面白い。たとえばフランス人の探偵について、『あの男はケルト系らしく、鋭い直感力はあますところなく備えているが、この種の仕事の発展には絶対必要な、広範囲にわたる正確な知識に欠けている』などとワトソンに話をしているのだ。ケルト人はガリアと呼ばれたいまのフランスの地に住んでいた民族で、シーザーのローマ軍が「ガリアの地」を征服し、偉大なローマ文明を植えつけたことによって、いまなおローマ文明の嫡流あるいは中華の地だとどこかで思っているらしい。敗れたケルト人たちはローマ人と混血することによって後のフランス人の原型をつくった。

 彼の真骨頂は、警察の知人や依頼主が手に負えなくなった事件の解決に困ってやってくると、専門的な見地からデータを精査して、独特の意見を発表することであろう。また、かねがね彼が言っていることに、すべての条件のうちから、不可能なものだけ切り捨ててゆけば、あとに残ったものが、たとえどんなに信じがたくても、事実でなければならない、というのも興味深いコメントだ。そして、どんなに素晴らしい解決になってもけっして手柄顔をせず、自分独特の力によって事件を解決してゆくという愉快な仕事そのものが、彼にとっては無上の報酬となるのである。自己実現の結果に浸る快感といったところであろうか。

 そこで、シャーロックホームズの生きざまをBSCの4つの視点に書いてみると、次のようになるのではないだろうか。BSCの普遍性を試すお遊びとして楽しんでいただければ幸いだ。

<財務や価値の視点>
・社会的貢献と、それに伴う報酬の獲得。
・事件解決による自己実現と快楽の享受。
<顧客の視点>
・社会悪の撲滅への貢献。
・依頼者に対する満足度の高い事件解決。
<プロセスの視点>
・専門的見地からデータを精査した独特な捜査プロセス。
・全ての条件のうち不可能なものを切り捨てた事実把握と仮説設定のプロセス
<学習と成長>
・専門知識の習得と活用
・捜査情報ネットワークの構築と活用

参考:「四つの署名」コナンドイル著、延原謙訳、新潮文庫

以上

経営品質の散歩道(10) 小倉昌男の経営学について考える

 本棚に並んでいる書籍の中で、未だに読んでいないけれど、気になる本がいくつかある。『小倉昌男 経営学』もその一冊で、この正月休みに何気なく手にとって一読してみた。宅急便の生みの親として知られるヤマト運輸の二代目社長だった小倉昌男さんの執筆本である。

 彼は、経営者が成功話を本にすると会社が傾くというジンクスを信じていたため、本の執筆依頼は一切ことわってきたと回想していた。しかし、すでにヤマト運輸という会社を離れていたことから、経営者の頃に様々な決断をしたのに、その背景や理由を社員に詳しく説明しなかったことが多かったという反省、それに、社長が、どうしてそう考えたのかを、いま改めて話してみるのも意味があるのではないか、という気持ちになったようだ。

 こんにち、小倉さんの宅急便ビジネス成功物語は有名な話で、いろいろな機会やメディアを通じて報道されているから、この稿では詳しくは書かない。むしろ、筆者が経営品質のフレームワークやバランススコアカードの視点で眺めてみて、オヤ?と思ったところを部分的に抜き書きしてみたい。

 そのひとつ目は、小倉さんが「小口貨物は非効率で儲からない」と考えていた思い込みを、事実を数字ではじき出したことによって、自らの思い込みを払拭していったことが挙げられる。数字で比較することによって新たな事実を発見し、経営に取り入れることの大切さがわかる事例である。経営品質で言うところの「分かっているつもり症候群」を抱えている組織には、参考になるのではないか。

 この気づきの背景には、ヤマト運輸が利益改善に四苦八苦しているのに、西濃運輸をはじめとする関西勢は高い利益率を誇り、ますます発展しているのは何故か、という自らの問いがあった。彼は、大阪を訪れた時に、大手ライバル会社の支店をこっそり外から覗いて観察し、数字で計算した結果を比較し、小口貨物が大きな利益を生んでいる事実を知ったのである。それが今日の宅急便ビジネスのアイデアにつながったという。

 ふたつ目は、生産性向上の取り組みである。小倉さんによれば、生産性向上の原理は、労働者一人当たりの設備投資を大きくし、その稼働率を高めることで、労働生産性も高くなるという考え方である。運送業は、典型的な労働集約産業であり、総コストの約60%近くを人件費が占めるので、経費の合理化には労働生産性の向上が不可欠。よって、運行車両の大型化、トレーラーシステム導入、乗り継ぎ制採用、運転業務と荷役業務の分離、ロールボックス・パレット方式開始、などの取り組みに注目したいところだ。

 その他にも、宅急便市場をひとつの業態として構築したことや、全員経営の体制づくり(パートナーシップ経営)を標榜したことは、良く知られている。業態は流通革命として広く理解されているものであり、全員経営は、特にコミュニケーションを重要視し、社長の持っている情報と同じ情報を従業員に与えれば、従業員は社長と同じように考え、行動するはず、という考え方である。従業員が、社長はこうして欲しいだろうと推察し、自発的に行動するのが、パートナーシップ経営だと喝破していた。

 いずれにしても、この本に書かれているキーワードは、経営品質のフレームワークや、バランススコアカードの4つの視点に該当するものばかりであった。新年にあたり、改めて経営品質やバランススコアカードの普遍性について再認識した次第である。最後に、新しい年が、読者の皆さんに幸多い年となりますよう祈念しつつ、本稿の筆をおくことにしたい。

参考:小倉昌男(2011)『小倉昌男 経営学』日経BP社、35刷

以上

経営品質の散歩道(9)全体最適化経営について考える

 全体最適というテーマで、資料を集め始めたことがある。この作業は今でも続けているのだが、世の中に全体最適という言葉を冠するタイトルの書籍が少ないということもあり、まとまった成果に仕上げたいと考えつづけてきた。
 その用語に対するものは部分最適となるが、全体最適や部分最適は、日常の会話や文献にもよく出てくる用語であるにもかかわらず、資料を集めていくうちに、全体最適の具体的な定義というものは、なかなか難しいものだなと感じるようになってきた。その理由のひとつとして、かなり幅広い領域で使われる性格ということも、あるかもしれない。そのような背景から、この取り組みにおいて、多少の怯えも覚えはじめたのである。そんなことを考えている折に、本棚に並んでいた『坂の上の雲』(司馬遼太郎著、文春文庫)の2巻目を見返していたら、全体最適に該当すると思われる記述が目に入ってきた。
 それは、日清戦争における日本の連合艦隊の戦術について、主人公の秋山真之が「まったくの素人だ」と嘆くところから始まる。彼は、巡洋艦乗り組みの一少尉の身でありながら、伊東の率いる連合艦隊の戦術を批判していたという。各艦が、組織全体が目指す戦略目的に向かっていく役割分担とか配置が適切に行われていないことを、指摘していたのである。以下は、その箇所の要約引用である。たとえば彼の乗っている筑波は牙山港に入って陸上部隊を援護していた。陸上では陸軍の奮戦で牙山が陥落し、敵兵はすでに北に逃げ、一兵の敵も見当たらないという状況であるというのにだ。その結果、なおも筑波は牙山にくぎ付けされ、別命を受けていない。また、日本の戦略的戦艦は、漢江付近の警戒を命ぜられて孤立しており、主力ははるか南方の根拠地にいて、敵艦隊の捜索すべき行動もとられていない。海上勢力がこのように離隔し、それぞれ分立し、しかも連絡が断絶していてはどうにもならず、最悪の場合は敵主力艦隊に各個に撃破され敗れてしまうというリスクを抱えている。
 戦いの要務は勢力を集中し、より大きな打撃力を構成して敵にあたることであり、兵力の分離は海上戦略上もっともいましむべきところであり、全軍の士気を低下させ、「われわれは将来、こういう愚をくりかえしてはならない」、と言わしめている。このあたりは、戦略の全体最適化がとられていない事例として参考になるのではないか。
 横道にそれるが、経営品質やISOマネジメントシステムにおける全体最適化というものが、(再びと言ってよいかもしれないが)研修や審査で叫ばれるようになってきた。新年早々に受講している本日の関連研修でも、同じようなことを繰り返し強調していることからも合点がいく。
 そのような状況の中で、筆者が悩むのは、全体最適が善で部分最適が悪、といったふうな断定が、なかなかできないところにあるからだ。資料の収集が進むなかで、その思いは徐々に頭を持ち上げてきているのだが、読者の意見を待ちたい。

参考:司馬遼太郎(2016)『坂の上の雲(二)』文芸春秋、第46刷

以上

桜美林大学大学院経営学研究科第8回ビジネス戦略セミナー開催(2月14日(火))ご案内

新年あけまして、おめでとうございます。
さて、「戦略的ISO経営とマネジメントシステム(MS)・コーディネーターの役割」と題し、四谷キャンパス(千駄ヶ谷)にて半日のビジネス戦略セミナー(参加費無料)を開催します。今回はISOの新展開を先取りして、経営革新を推進するMSコーディネーターの役割とその戦略手法の一つである「ダイナミック・ケイパビリティ(DC)戦略」の紹介も行いますので、どうぞお気軽にご参加ください。

◆プログラム
13:30~13:35 開会および司会~ 境 睦  (桜美林大学大学院経営学研究科科長)
13:35~13:45 開会のご挨拶~  小池一夫 (桜美林大学副学長)
◆テーマⅠ ISO認証の新展開
13:45∼14:15 認証の戦略的活用と最新の動向~大塚 玲朗
(経済産業省技術環境局基準認証政策課)
14:15~15:00 ISOとバランススコアカードを活用した全体最適経営~ 高橋義郎
(桜美林大学大学院特任教授)
◆テーマⅡ 競争優位の構築とDC戦略
15:15~16:00 GNTの国際標準化戦略の紹介~原田節雄 
(桜美林大学大学院特任教授)
16:00~16:45 GNTのダイナミック・ケイパビリティ戦略~土屋勉男
(桜美林大学大学院経営学研究科教授)
◆16:45~17:00 質疑応答及び総括~ 金山 権
(桜美林大学大学院経営学研究科教授)
注: GNT~グローバルニッチトップ

◆会場及び開催日時
日時:2017年2月14日(火)13:30~17:00(受付開始13:00)
会場:桜美林大学四谷キャンパス(千駄ヶ谷)、1階ホール
参加費:無料
◆お申込み:お名前・ご所属をお書きの上、高橋(メールアドレス:t1300104@obirin.ac..jp)までご連絡下さい。

(以上)

経営品質の散歩道(8)経営品質は終わりのないジャーニー

 日本経営品質学会という小規模な学会がある。昨年の学会は11月に開催された。その基調講演にD社のスピーカーが出講し、いままで取り組んできた職場風土変革や、組織価値観(使命・ビジョン・方針)の徹底浸透による組織活性化についての事例を紹介していた。

 筆者の記憶によれば、D社のスピーカーの方は、この変革の取り組みには、やはり10年くらい掛かりましたね、と話していた。経営品質向上の活動は、終わりなきジャーニーと呼ばれている。10年は最低の期間で、実際にはもっと長い時間をかけて取り組んでいる組織が多いと伺っている。

 10年という数字には、それなりの根拠があるようだ。『日本文明のかたち』(文春文庫)で司馬遼太郎と対談しているドナルド・キーンさんは、10年くらいかけると伝統を創り出すことができる、と話していた。

 横道にそれるが、司馬さんはキーンさんとの対談の中で、日本人の便宜主義ということに触れている。言い換えると、古来より日本には海外から多くの文明が入ってきたが、日本人はそれらの文明を日本の島国というお皿の上に乗っけるだけで、それらの真理や原理には鈍感だったのではないかということである。これは今の経営活動でも同じような傾向が見られるような思いがする。

 たとえば、欧米が生み出し発信してきた経営管理手法を、本来の目的や「肝」を理解せずに、とっかえひっかえしながら導入している組織はないだろうか。年末にあたり、心したいところだ。

参考:司馬遼太郎(著者代表)(2006)『日本文明のかたち』文芸春秋、文春文庫

以上

経営品質の散歩道(7)リーダーの形について考える

 およそ25年前、筆者の勤務していたフィリップス社は、未曾有の経営危機に陥っていたことがあった。刷新された当時の経営グループは「センチュリオン」と呼ばれる経営改革に乗り出し、その一環として、リーダーの意識変革のために今で言う「360度評価」の仕組みが、その数年後に導入された。筆者も、部下や同僚に所定の評価フォームに筆者自身に対する評価を書いてもらった覚えがある。同時に筆者も、直属の上司の評価を行った。当時の上司は二人いて、一人はオランダ人、そして他の一人は日本人だった。その評価項目は経営品質のフレームワークに類似した内容であったと記憶しているが、偶然ながら、その経験は興味あるものであった。というのは、経営品質のフレームワークに準拠して二人のリーダーを評価してみると、圧倒的にオランダ人のほうが高いスコアになったからである。そのときほど、リーダーの形ということについて考えさせられたことはなかった。

 たまたま読み直していた『坂の上の雲(七)』には、いくつかのリーダーの形を示唆する記述が見られる。その一人目は、明治時代の日露戦争でロシアの将軍であったクロパトキンである。戦争の詳細については本稿の本意ではないので同書に譲るが、司馬さんは、専制国家の官僚におけるリーダーの形について触れている。そのシーンではアメリカ合衆国大統領のセオドア・ルーズヴェルトを登場させ、専制国家は必ず負ける、という予言を語らせている。その一例として、クロパトキンは彼が承認した作戦において、味方の某大将がよく戦い功を与えられるのではないかと思われる事態を見ると、予定された自身の作戦の役割を行わず、消極的に裏切ったという。その理由は、「それをもし為して大勝をおさめれば功は某大将にゆき、ロシア陸軍における自分の地位は一時に失落する」としている。司馬さんによれば、このことは普通の国家にあっては信じがたい理由だが、専制国家の官僚というのは、国家へもたらす利益よりも自分の官僚的立場についての配慮のみで自分の行動を決定することを、ひとつのリーダーの形として述べたかったのであろう。

 二人目のリーダーの形として、司馬さんは、ロシア海軍で老朽艦隊を率い日本海海戦に参加したネボガトフ少将を紹介している。この不幸な艦隊の出航準備中には、いくつか不穏な事件が頻発し、その艦隊にとっては不吉な門出になった。しかし、顔半分を白鬚で覆ったネボガトフ司令官は、海軍とはどういうものかを体験的に知り抜いた優れた船乗りという評判があり、提督の最大の資質である人格的な魅力を備え、水兵にいたるまでボスとして敬愛されていたという。そして、兵士の士気を失わせるものは、兵士の心理を理解しない上官と、軍隊における諸悪の習慣であると考え、それさえ克服すれば兵士は厳しい訓練にも耐えるはずとの信念を持ち、この航海を始めるにあたってこの意識を徹底させた。その結果、航海が進むにつれて、徐々に水兵たちの反抗気分は薄らいでいったという。経営品質で言うところの、従業員重視の経営方針に該当するのではあるまいか。

 余談になるが、筆者自身を振り返ってみると、どちらかと言えば、外資系の企業で鍛錬されてきた上司のもとで働いていた時期のほうが、伝統的な日本の企業で累進してきた上司とのそれよりも、楽しくて働き甲斐があったような気がする。この想いは人によって異なることは言うまでもないが、経営品質における「リーダーのかたち」を考えるとき、外資型と日本型という両者のリーダーの価値観の違いというものにも、遠望していく必要があるのではないだろうか。読者の意見を待ちたい。

参考:司馬遼太郎(2016)『坂の上の雲(七)』文芸春秋、第36刷

以上

経営品質の散歩道(6)「比較」について考える

 経営品質賞のフレームワークであるビジネスエクセレンスモデル(以下、経営品質)と出会ったのは、1990年代の半ばである。はじめての出会いは、筆者が勤務していたオランダのフィリップス社でグローバル展開していた Philips Quality Award(PQA)であった。その後、PQAが欧州品質賞(EFQM)に置き換わり、日本法人で創設した経営品質部と改名したコーポレート部門が、それぞれの事業部門に対して導入企画立案と実際の運用支援をファシリテートしてきた。

 当時、米国ではマルコム・ボルドリッジ国家品質賞や日本経営品質賞が話題になりはじめたころで、オランダ本社から送られてくる資料は英文だったため、経営品質に疎かった日本法人の担当グループは、それらの経営品質賞をベンチマーキングしながら、導入作業を進めてきた。

 経営品質部を創設してから暫くして、上司の副社長であったA氏が経営品質の啓蒙書を作るアイデアを持ってきたので、その支援のために資料を集めはじめたことがあった。これが筆者にとって、大いに勉強になった。そのときに遭遇した記事に「日本人は比較することを知らないので、やがて滅びる」(司馬遼太郎(1995)『東と西』朝日新聞社朝日文庫)というふうなくだりであったと記憶している。経営品質風にいう「ベンチマーキング」であろう。本棚を整理していたら、『司馬遼太郎全講演集[5]1992-1995』が目に入った。ぱらぱらとページをめくって書かれた気づきのメモを読み直してみると、ちょうど同じような記述が出てきたので、本稿では「比較(ベンチマーキング)」について考えてみたい。

 「比較を拒絶すると国を滅ぼすことに」と題されたその項には、日本に好意を持っていたある女性の英国人ジャーナリストの話しが紹介されている。彼女が昭和2年に横浜から帰国するときに、「日本は滅びるでしょう。なぜなら、日本という国は比較ということを知らない」と言ったという。比較を知らないと、自分だけが偉いと思い始めてしまう危険がある。彼女が「日本は滅びる」と言ったのは、そこに理由があった。もしそのような人達が政権を担うようになったら、国をつぶすと予言したのである。司馬さんは更に、比較というものは冷酷無残で実にクールなものであること、よって人を傷つける場合もあるかもしれないこと、しかし比較嫌いは組織や国を停滞させ滅ぼすもの、などの危惧を示唆していたことがわかる。

 余談だが、過去に見聞したベンチマーキングと称する活動は、つくづく難しいと思うことが少なからずあった。理由のひとつは、その組織に合った最適な仕組みや手法は、長い時間をかけて自らの試行錯誤の末に、そして多くの努力の積み重ねで見いだされたものであるから、形だけ真似をしても同じ成果が得られるものではないという事実である。そのような背景から、ふたつ目の理由は「自分達には出来ないレベルであり、他の世界の話し」と早々と思い込んで諦めにも似た印象を持ってしまう傾向があったためであろう。したがって、「勉強にはなったが、ベンチマーキングの成果はなかった」といった自分勝手な結論を出してしまうことになってしまうのである。経営品質における「比較」の難しさは、今も昔も変わらないということであろうか。読者の意見を待ちたい。

参考:司馬遼太郎(2004)『司馬遼太郎全講演[5]1992-1995』朝日文庫・朝日新聞出版

(以上)

経営品質の散歩道 5.学習する組織について考える

 数年前のことだが、大学の図書館で入山氏の本を借りたことがあった。金曜日の授業が終わった後、ややリラックスした気分に浸りながら、町田で寿司をつまみながら読みふけっていたことを思い出す。彼がまだ海外で教鞭をとっていたころに出版された本で、世界の経営学者は何を考えているのかといったようなタイトルだった。内容は筆者にとって新鮮で、その中の一文にドラッカーのことについて触れていた。日本以外の経営学者はドラッカーを研究テーマにすることは少ないこと、日本での人気は説話としての人気ではないかと思ったこと、などが述べられていた記憶がある。今回の稿では、そのドラッカーについて書かれた本 『ドラッカーさんが教えてくれた経営のウソとホント』の第6章と第7章にある「学習する組織」について振り返ってみたい。

 同書は、著者の酒井氏がドラッカーと直接対話をしたことを、まとめられたものである。日本に学んだとされるピーター・センゲの「学習する組織」論のコンセプトを、組織に属するメンバーがビジョンや目標を達成するために自分自身の能力を伸ばしたり、考え方を一新したりすることによって、企業の競争力を高めていこうという組織論、と酒井氏は記している。その前提に立った上で、センゲが提示している5つの原則を紹介している。すなわち、1.自己マスタリー、2.メンタル・モデルの克服、3.共有ビジョンの構築、4.チーム学習、5.システム思考、である。

 「自己マスタリー」のマスタリーとは統御力とか勝利などの意味で、自分は人生において何を達成したいのか、そのために潜在的な能力をどう伸ばしていくのか、そのために生涯を通じて学習することが大事、と酒井氏は書いている。次の「メンタル・モデルの克服」は、我々の心に固定化されたイメージや概念の克服であり、組織メンバーが共有しているメンタル・モデルを変えていかなければ競争に勝ち残れない、という表現で説明をしている。また、「共有ビジョン」については、将来の目標とか自分たちの成すべき課題を決めることで、リーダーに求められていることは、不確実な時代にあって、自分たちが進むべき道を示すことであることを強調している。見えない未来を見て、自分たちの方向性を示せる人こそリーダーの器であろう。

 「チーム学習」については、野中氏がナレッジ・クリエーション(知の創造)を生み出すのが対話であること、創造性のある企業には対話の仕組みがあること、お互いの思いや意見を戦わせることによって自分たちが気付かない何かが生まれること、などを示唆している。そして最後に「システム思考」である。酒井氏は「木を見て森を見ず」という諺を引用し、全体から部分を理解すること、全体の視野から部分と部分の関係性を明らかにしていくことを説いている。彼によれば、システム思考は日本人にとって不得意な思考方法だとしているが、企業の構造が複雑になり、また、グローバル化が進む中で、システム思考は非常に重要な成功要因になってくると述べている。

 余談になるが、酒井氏は同書において「今の日本企業に大切なキーワードが5つある」としている。コンプライアンス、ダイバーシティ、プロフェッショナル、コラボレーション、そして、イノベーションである。この5つのキーワードを組み合わせると、法令順守以外の高い倫理観を持った企業が、性や人種、障害などにとらわれることなく多様な人材を雇い、その一人ひとりをプロとして育て上げる。そのプロたちが、企業外のプロたちとネットワークを組んで協業することでスピードアップをはかりながら、新しい革新を生み出す、というような企業の理想像が描けるという。

 私事になるが、現在お世話になっている大学院で、来年度から新たな役割を拝命することになったが、その役割のポイントを上述の5つのキーワードから選ぶとすれば「ネットワーク」になるのではないか。そのようなことを考えながら、本稿を締めくくることにする。

参考:酒井綱一郎(2010)『ドラッカーさんが教えてくれた経営のウソとホント』日本経済新聞出版社

以上

経営品質の散歩道 4.人材育成風土とブランド戦略を考える

 近江といえば、かつて仕事でよく行っていたのが彦根である。北近江の長浜にある高月や、多賀大社のある多賀にも数回足を運んだことがあるが、やはり彦根城を中心とした歴史的由来からくる風土と、そこでお世話になった方々との交流の思い出は、いまでも忘れられない。とくに春の季節が良かった。彦根駅で迎えの車を待つ晩春の夕暮れに頬を撫でる風の心地よさは、おそらく琵琶湖のあわあわとした水蒸気とともに運ばれてくる上質で由緒正しい芳香とも思えるほどであった。

 司馬さんの『近江散歩』には、芭蕉には近江でつくった句が多いとある。そのなかでも、句としてもっとも大きさを感じさせるのは『猿蓑』にある一句で、
        行く春を 近江の人と おしみける
を紹介している。この句でいう近江の人は、むろん複数であろう。この場合、近江以外の場所では、この句のおおらかさは、あらわすことは難しいと思う。司馬さんも、行く春は近江の人と惜しまねば、句のむこうの景観のひろやかさや晩春の駘蕩たる気分があらわれ出て来ない、と書いている。湖水がしきりに蒸発して春霞がたち、春と近江の人情とがあい、この句を味わうには「近江」を他の国名に変えてみれば、句として成り立たなくなるというのである。

 司馬さんによれば、近江には、多くの例証から、独創者を出す風土があったという。たとえば、近江商人が生まれ出た地として有名になった背景については、その一郷で傑出した者が出、成功することによって、一族、一郷がまねをしたとある。つまりは、独創者をおさえつけずに、逆にほめそやす気分が、風土としてあったのだろう。工人の世界でもしかりで、国友村に次郎助をいう鍛冶が螺子の原理と製造方法について試行錯誤の末に悟ったときに、老熟者に説明すると、一同、大いに次郎助をほめたという。欧州品質賞(EFQM)でいえば、「3.人材」にあるナレッジの認知、開発、動機づけ、エンパワーメント、などにつながるものではないだろうか。また、そのような組織の風土づくりも、経営品質の求める重要な要素と考えるべきものであろう。

 加えて、近江の人々は、ブランドづくりにも長けていた。その一例として、江戸時代に松浦七兵衛という商人が、「伊吹もぐさ」の行商をはじめた話に触れている。当時、伊吹もぐさは世間での周知の度合いが低くなっていたため、七兵衛は一から宣伝しようと考えた。府内を歩いて売りひろめ、やがて利益が積みあがると吉原へゆき、一切を散財したという。そのことをくりかえすうちに、郭の評判男になった。彼は、そろそろ潮どきとみて大勢の芸者をよび、酒宴をひらいた。そのとき七兵衛は、「今宵、皆にお願いがある。これから毎夜のお客の宴席で歌う時に、伊吹もぐさの歌を交ぜて三味線に合わせて歌ふてくれまいか」と頼んだという。

 当時の吉原は、流行の発信地のような機能を持っていたから、このCMソングが大いにはやった。その後、大阪の浄瑠璃作者に『伊吹もぐさ』という浄瑠璃を作ってもらい、道頓堀と京都の誓願寺の小屋で興行させたこともあり、「もぐさ」は売れに売れた。七兵衛の遺訓が生き続けたこともあってか、そのビジネスは今日まで継承された。この場合、芸者たちも浄瑠璃作者も、ブランド戦略の強力なビジネスパートナーとして位置づけられるものであろう。方針と戦略という経営品質を考えるうえでも、参考になる話ではないか。

 余談だが、日本に伝来した鉄砲は、銃身の後部の塞ぎ(尾栓)が、ねじこみになっていた。種子島の工人は、これがわからず、代償を施してポルトガル人に聞いたところ、スパナをとりだし、ねじをゆるめて、こういうものだと見せてくれたという。知っていれば何でもないものなのだが、ねじの思想のない国にあっては、外側から見るだけでは、見当のつけようもない。経営品質におけるベンチマーキングや新たな事実との遭遇でも、同じようなことが言えそうな気がするが、いかがであろうか。

参考:司馬遼太郎(2009)『街道をゆく24<新装版>近江散歩』朝日新聞出版

以上

経営品質の散歩道 3.戦略とプロセスイノベーション

 11月に大阪にゆく仕事があった。ちょうど、その前日が祝日だったので、かねてより訪ねてみたかった東大阪の司馬遼太郎記念館に立ち寄ってみた。建物の設計は、かの有名な安藤忠雄さんだそうで、展示されていた建築設計図を見てみると、ある1点からコンパスで複数の円を描いた放射線上に建物や植樹が幾何学的に配されていたのが、印象的だった。

 司馬遼太郎記念館は、いつか来てみたかったところである。道中、彼の最終執筆物となった『街道をゆく43:濃尾参州記』を読みながら来た。そのせいもあって、地下1階メインフロアーの書庫に並んでいる『名古屋叢書』や『徳川家康公伝』などの徳川家康関係の蔵書が目に飛び込んできて、なんだか嬉しかった。蔵書巡りをしているうちに、『古典落語体系』も、街道をゆくシリーズのどこかで出会った書名の記憶がある。司馬さんは、これらの資料を読みながら、あの街道をゆくシリーズを書いたのだなと、思わず感傷的になってしまった。

 さて、織田信長のことである。彼は尾張衆をひきい、勝ちがたい敵とされた今川義元の軍に挑み、ひたすら義元の首一つをとることに目的をしぼり、みごとにその目的を達した。経営でいうところの「戦略は選択と集中」という言葉が、ぴったりとあてはまる歴史的な実践事例であろう。さらに信長は、旧習の不合理を憎み、強烈な自己流の合理主義をもって物事を我流に変えた。たとえば、貴族文化である放鷹(ほうよう)は服装やマナーにうるさいものだったが、単に鷹狩りではないか、であれば獲物を多く獲ればよく、服装も仕掛けも変え、みずから猟師のようになって山野を駆けた。そのうわさが武田信玄に届いたときに、信玄を考え込ませたと、司馬さんは書いている。

 長めの槍を持たせた足軽集団も、槍先が相手に早く届くアイデア武器として、この時代では特徴のあるものだったらしい。義元を破ったときの騎兵の集団運用による奇襲戦術といい、いわゆる「プロセス・イノベーター」だったのだろう。そのようにして、三河や濃尾の兵と比べると惰弱な尾張兵をもって、強力な軍団に育てあげた。「良い(変革)プロセスが良い(卓越した)結果を生む」という、経営品質のセオリーも窺われよう。そのうえ、若いころの奇跡ともいうべき義元襲撃の勝利を、ついに生涯みずから模倣しなかったことでも凄みがある。経営の視点からも、教訓になるところだ。「過去の成功体験におぼれる」ことによって事業を危うくするといった経営者の話を聞くにつけ、そこが信長の偉いところだと、司馬さんも述懐していた。そして、その翌年2月に、司馬さんはこの世を去る。

 余談だが、義元の祖のなかで、出色の人物だったのが室町初期の今川了俊(りょうしゅん)である。彼には著作が多く、「今川状」というのも了俊の文章である。弟の仲秋を訓すという形式の家訓の書で、当時としては優れた日本語の見本というべき文章だったと、司馬さんは紹介している。やがて、民間にまでいきわたり、児童が学ぶ寺子屋の教科書にもなった。江戸初期には女子教育のための「女今川」もでき、「今川で、さらした嫁は、灰汁(あく)が抜け」という川柳にもうたわれた。あの嫁は、さすがに女今川をよく読んだだけに違っている、という意味である。経営品質に関わっておられる諸氏にも、「さすがに経営品質をよく知っているだけに、経営のセンスも人物の品格も違うね」、と尊敬の念で語られていることを信じてやまないところだ。

参考:司馬遼太郎(2009)『街道をゆく43<新装版>濃尾参州記』朝日新聞出版

以上