高橋義郎のブログ

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京都の等持院を訪ねて

  京都の庭園が好きである。特に枯山水の庭園を好んで巡ることが多いのだが、等持院はこれといった枯山水はないにしても、雰囲気の好きなところのひとつである。たまたま最初に訪ねたのが冬の朝だったこともあってか、静かな中に何か凛とした気分が漂っていたのが、好印象を感じたのかもしれない。

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 等持院は、南北朝時代の暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓国師を開山として中興し、尊氏の歿後この寺に葬り、その法名をとって等持院と名づけられたという。しばしば火災にあって荒廃し、現在の建物は江戸・文政年間(1818~30)の建立だそうだ。芙蓉池畔の清蓮亭茶室及び夢窓国師作庭と伝える池泉回遊式庭園とある。
 明治以前の日本人は庭園が好きだった、と司馬遼太郎は『この国のかたち(4)』の「庭」の節で書いているように、日本人は空間についての好みや文化に繊細な感覚を持っていたのであろう、中程度の農家でも、美しい前栽や坪庭を作って楽しんで、造形美術として真剣な対象にしていたようだという。
 庭園は当然ながら建物に付属するが、日本の場合ときに逆の場合もあり、林泉という私的な天地を作って建物のほうは、それを眺めるためのアクセントとしたものも多く見受けられる。いずれにしても、江戸時代の建物に多く出会う京都の寺々である。

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(以上)