高橋義郎のブログ

経営品質、バランススコアカード、リスクマネジメント、ISO経営、江戸東京、などについてのコミュニティ型ブログです。

経営品質の散歩道(7)リーダーの形について考える

 およそ25年前、筆者の勤務していたフィリップス社は、未曾有の経営危機に陥っていたことがあった。刷新された当時の経営グループは「センチュリオン」と呼ばれる経営改革に乗り出し、その一環として、リーダーの意識変革のために今で言う「360度評価」の仕組みが、その数年後に導入された。筆者も、部下や同僚に所定の評価フォームに筆者自身に対する評価を書いてもらった覚えがある。同時に筆者も、直属の上司の評価を行った。当時の上司は二人いて、一人はオランダ人、そして他の一人は日本人だった。その評価項目は経営品質のフレームワークに類似した内容であったと記憶しているが、偶然ながら、その経験は興味あるものであった。というのは、経営品質のフレームワークに準拠して二人のリーダーを評価してみると、圧倒的にオランダ人のほうが高いスコアになったからである。そのときほど、リーダーの形ということについて考えさせられたことはなかった。

 たまたま読み直していた『坂の上の雲(七)』には、いくつかのリーダーの形を示唆する記述が見られる。その一人目は、明治時代の日露戦争でロシアの将軍であったクロパトキンである。戦争の詳細については本稿の本意ではないので同書に譲るが、司馬さんは、専制国家の官僚におけるリーダーの形について触れている。そのシーンではアメリカ合衆国大統領のセオドア・ルーズヴェルトを登場させ、専制国家は必ず負ける、という予言を語らせている。その一例として、クロパトキンは彼が承認した作戦において、味方の某大将がよく戦い功を与えられるのではないかと思われる事態を見ると、予定された自身の作戦の役割を行わず、消極的に裏切ったという。その理由は、「それをもし為して大勝をおさめれば功は某大将にゆき、ロシア陸軍における自分の地位は一時に失落する」としている。司馬さんによれば、このことは普通の国家にあっては信じがたい理由だが、専制国家の官僚というのは、国家へもたらす利益よりも自分の官僚的立場についての配慮のみで自分の行動を決定することを、ひとつのリーダーの形として述べたかったのであろう。

 二人目のリーダーの形として、司馬さんは、ロシア海軍で老朽艦隊を率い日本海海戦に参加したネボガトフ少将を紹介している。この不幸な艦隊の出航準備中には、いくつか不穏な事件が頻発し、その艦隊にとっては不吉な門出になった。しかし、顔半分を白鬚で覆ったネボガトフ司令官は、海軍とはどういうものかを体験的に知り抜いた優れた船乗りという評判があり、提督の最大の資質である人格的な魅力を備え、水兵にいたるまでボスとして敬愛されていたという。そして、兵士の士気を失わせるものは、兵士の心理を理解しない上官と、軍隊における諸悪の習慣であると考え、それさえ克服すれば兵士は厳しい訓練にも耐えるはずとの信念を持ち、この航海を始めるにあたってこの意識を徹底させた。その結果、航海が進むにつれて、徐々に水兵たちの反抗気分は薄らいでいったという。経営品質で言うところの、従業員重視の経営方針に該当するのではあるまいか。

 余談になるが、筆者自身を振り返ってみると、どちらかと言えば、外資系の企業で鍛錬されてきた上司のもとで働いていた時期のほうが、伝統的な日本の企業で累進してきた上司とのそれよりも、楽しくて働き甲斐があったような気がする。この想いは人によって異なることは言うまでもないが、経営品質における「リーダーのかたち」を考えるとき、外資型と日本型という両者のリーダーの価値観の違いというものにも、遠望していく必要があるのではないだろうか。読者の意見を待ちたい。

参考:司馬遼太郎(2016)『坂の上の雲(七)』文芸春秋、第36刷

以上