高橋義郎のブログ

経営品質、バランススコアカード、リスクマネジメント、ISO経営、江戸東京、などについてのコミュニティ型ブログです。

40年ぶりに『取材学』再読

 JR御茶ノ水駅から駿河台の坂道を下っていくと、右手に古本屋さんがある。その前を通りすぎようとしたとき、ふと気になって、そのお店に入ってみた。とくに探す本があったわけではないが、本屋さんというのは、ふらりと立ち寄ってみたくなるものである。店の書棚を見てまわるうちに、20代半ばに読んだことのある本を見つけた。それが、『取材学』という本である。
 この本は、少し大袈裟に言えば、筆者の執筆や調査などの活動において、大いに触発された本の1つである。その構成としては、
・取材とはなにか
・文字の世界の探検
・耳学問のすすめ
・現地を見る
・取材に人間学
となっており、いまでも機会あるごとに話すくだりとしては、「じっさい、問題さえはっきりしていれば、それにこたえる情報というのは、あたかも磁石に鉄粉が吸い寄せられるように、しぜんにあつまってくるものなのだ。あれやこれやの雑多な情報が身辺をとりまいていて、いったいどうしてよいのかわからない、という情報混乱に悩むのは人間のがわの問題意識がじゅうぶんに熟していないからである。」といったものである。この箇所のほとんどは、そらで言えるほどに強い印象を受けた。
 もうひとつは、知的散歩のことである。知的散歩は無目的であるけれども、その途中でいろいろなものを見つけることができる。ぼんやりと漠然とした事柄が頭の中に存在しているときなど、ふと気がついて直感のようなものが働くといった効用も、知的散歩にはあるという。筆者もまったく同感で、問題の発見や企画の創造にもつながる体験も少なくない。
 古本屋で買い求めた同書は、だいぶ黄ばんでいる。その黄ばみが、時間という重みを、筆者の本棚に加えてくれた。

(参考:加藤秀俊『取材学・探求の技法』中央公論社、1975年10月)