高橋義郎のブログ

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早すぎた平清盛の日本最初の重商政治

 日本で最も古い船泊(ふなどまり)が兵庫県の室津であるといいます。「街道をゆく9」でも、龍野から室津へ出るコースをとっていました。遣唐使は大阪湾を出て瀬戸内海をゆく中で、室津に寄港したらしい。その後、日本史に登場する平清盛は、室津入港の翌年には死んでしまい、それから数年後に平氏は滅亡します。

 日本人の多くが源氏を善とし、清盛を悪とする風潮が多く聞かれますが、グローバルビジネスの視点から考えてみると、筆者にとって平清盛のほうが魅力ある人物に見えてきます。それは、江戸期における田沼意次の重商政治とも共通するところかもしれません。清盛は海運をさかんにし、対宋貿易をもって立国しようとした点で、日本最初の重商主義の政治家だったと思えるのです。

 清盛は、公家による農地支配体制を温存したまま、商業と貨幣経済を興すことに賭けました。このため、清盛は外洋航海の基地としての一大港市を現在の神戸(当時の福原)に建設し、瀬戸内海水路整備と貿易政策に熱中したのですが、結論から言えば、早すぎたビジネスプランだったといえましょう。当時の日本には国民経済としての商品経済が無いに等しく、いわば農民とそれを収奪する貴族だけの社会だったために、人々は清盛の感覚についてゆくどころか、理解さえできなかったと思えるのです。

 ただ、博多や下関の港を整備し、福原をもって貿易基地にしようとした構想力は、まだ農業だけが産業というこの時代に合わなかったとはいえ、ただの人間ではなかったのではないかと推察されます。日本史を総じて振り返ってみると、頼朝や家康のような農業本位主義が勝ち、重商主義政治が排除されることは、陸軍vs海軍、国内派vs海外派にたとえられるような日本の風土が醸し出す歴史の繰り返しなのかもしれません。

 もし清盛が現代に生きていたら、政治家として、あるいは企業家として、どのような経営を行っていたのでしょうか。一読者の歴史的なロマンではあります。

(参考及び出典:司馬遼太郎「播州揖保川・室津みち」『街道をゆく9』朝日新聞出版、2016年、第4刷)