高橋義郎のブログ

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後継者に恵まれた最澄と鎌倉仏教の成立

 信州というところは、京都や鎌倉とは違った意味で好感を持てる土地柄です。京の雅や鎌倉の古都の趣ではない何かが魅力を感じさせてくれるのでしょう。日本人が懐かしいと感じる情景や風景が、あちこちに存在するからなのかもしれません。長野で冬季オリンピック開催が決定したころ、ちょうど長野市内のホテルで、その報を聞いた経験があります。そのころによく宿泊していた宿舎は、今のビジネスホテルとは違って、県庁所在地の長野を彷彿とさせる宿泊設備でした。

 東京から長野に向かっていくと、その手前に上田市があり、上田市の西方に行くと別所温泉と常楽寺があります。たしか常楽寺には優美な五重塔があったと記憶していますが、「街道をゆく9」で司馬さんは別所温泉と常楽寺を訪ね、別所温泉は湯聖がひらいたところだという持論を述べていました。常楽寺は天台宗で、天台宗は最澄が興したことは歴史の授業でも学びました。

 唐から帰国後の最澄は、自分の教学を防衛することに明け暮れたために、持ち帰ったものを整理するいとまもなく、その風呂敷包みを叡山の山頂においたまま世を去りました。最澄は前半生において恵まれ、後半生においては稔りの無い抗争にひきこまれてしまい、かんじんの教学面での作業は進まなかったようです。ただ、死後は後継者に恵まれ、最澄が叡山に風呂敷包みをほとんど解きもせずに置き捨てて世を去ったあと、弟子たちが皆で風呂敷を解き、その膨大な内容を手分けして整理したり、研究したりし、この系統から無数の学僧や思考的人物が出、ついに鎌倉仏教という日本化した仏教世界を創造するにいたりました。

 一方、空海の真言宗には、そういう華やかさは、その後なかったようです。その理由は、発展する余地がないほどに空海が生前完璧なものにしてしまったからでしょう。そのため、空海の教学は後継者によって発展しなかったのです。リーダーの歴史的評価というものは、誠に難しいものであります。

(参考及び出典:司馬遼太郎「信州佐久平みち」『街道をゆく9』朝日新聞出版、2016年、第4刷)