高橋義郎のブログ

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中世の環濠商業都市「今井」と時勢を考える

 社会人となって就職した会社の工場が新潟県柏崎市にあります。22歳から数年間、その工場に勤務し、その後、東京新橋にあった本社へ転勤しました。その柏崎市の名前が「街道をゆく7」に出てきます。奈良の橿原市にある今井という町について書かれている稿で、この今井の町が越後柏崎にやや似ているというのです。越後柏崎は日本海に面した海港ですが、中世末期において商品流通の中心地であったということで、「におい」が似ているということでした。

 今井の環濠(かんごう)集落は「今井千軒」と戦国期に言われた町で、江戸時代を経て現在でも旧観を偲ばせる家並みが残っています。かつて筆者も出張のついでに立ち寄ってみたのですが、町中の寺や民家の中には、軍備目的ではないかと思われるほど堅牢な建物があったように、あいまいながらも記憶しています。堺の富商で茶人でもあった今井宗久などの商人を出す素地が、堺以前にこの大和の今井という商業都市にあったことは、注目に値すると司馬さんは書いています。

 今井町のホームページによれば、その成立は戦国時代末期の天文年間と考えられ、称念寺を中心とする寺内町(寺院の境内に形成された町)として発展したそうです。かつては町の周囲に九つの門が配され、防備は厳重で、富商も多く住んでいました。話を「街道をゆく7」に戻しますと、戦国期は生産性が低下した時代ではなく逆に飛躍的に上がった時代で、商品流通が発展し、「座」の古い体制が濃厚に支配している大和においても、新しい商品流通の場をつくるのが時勢の要求であり、そのような背景で今井町が出現したのではないか。そして、今井町の商権と住民を守るために自衛の兵力を保持し、一向宗の大寺をつくり、宗教と軍事と商業の3つを整合させた新形態の都市が生まれたと述べています。 

 今井町の勃興でも感じることですが、歴史やビジネスに少なからず影響を与え続けている「時勢」という要因は恐ろしいもので、この稿を再読するなかで「時勢」という不気味な存在について、改めて考えさせられた早春の夜でした。

(参考/出典:司馬遼太郎「大和・壺阪みち」『街道をゆく7』朝日新聞出版、2017年、第4刷)