高橋義郎のブログ

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「陸奥のみち」を読んで

 11月下旬に盛岡市と九戸村に行く仕事があり、新幹線の中で再読しようと本棚から『街道をゆく3』を引っ張り出してきました。その本の著者が飛行機で南部の上空に入り、機内放送で遠野の上空であることを告げられたとき、遠野は十戸(とうのへ)からきた地名だと某学生から聞いたことを思い出したそうですが、南部地方には一戸(いちのへ)、三戸(さんのへ)、八戸(はちのへ)などの地名が並んでいます。そして、筆者が行こうとしているのは、九戸(くのへ)でした。

 ちなみに、八戸はもともと南部藩(岩手県)の領地でしたが、いまは青森県に属しています。南部藩は戊辰戦争のときに、いわゆる佐幕で賊軍とみられており、そのため、明治政府がいやがらせをして、小南部と呼ばれた八戸の領分をハサミで切り取るように切り取り、津軽へ持ってゆき、青森県をつくったと言われています。したがって、八戸は南部地方ながら青森県になったようです。明治政府が、こんにちの都道府県をつくるとき、どの土地が官軍に属し、どの土地が佐幕もしくは日和見であったかということを後世にわかるように烙印を押した結果、その藩郡(県庁所在地)の名称が、そのまま県名になっている県が、官軍側なのでしょう。例えば、薩摩藩の鹿児島、長州藩の山口、土佐藩の高知、肥前佐賀藩の佐賀などが代表的なものです。比較的豊穣な八戸を失った南部藩は、辛かったことでしょう。

 いろいろな土地に伺うと、その地方の特色を表す地名を知る事が楽しくなりますが、今回の旅でも、岩手・南部地方を感じさせる地名を堪能できました。

(参考:『街道をゆく3』司馬遼太郎、朝日新聞出版、朝日文庫)