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高橋義郎のブログ

経営品質、バランススコアカード、リスクマネジメント、ISO経営、江戸東京、などについてのコミュニティ型ブログです。

経営品質の散歩道 4.人材育成風土とブランド戦略を考える

 近江といえば、かつて仕事でよく行っていたのが彦根である。北近江の長浜にある高月や、多賀大社のある多賀にも数回足を運んだことがあるが、やはり彦根城を中心とした歴史的由来からくる風土と、そこでお世話になった方々との交流の思い出は、いまでも忘れられない。とくに春の季節が良かった。彦根駅で迎えの車を待つ晩春の夕暮れに頬を撫でる風の心地よさは、おそらく琵琶湖のあわあわとした水蒸気とともに運ばれてくる上質で由緒正しい芳香とも思えるほどであった。

 司馬さんの『近江散歩』には、芭蕉には近江でつくった句が多いとある。そのなかでも、句としてもっとも大きさを感じさせるのは『猿蓑』にある一句で、
        行く春を 近江の人と おしみける
を紹介している。この句でいう近江の人は、むろん複数であろう。この場合、近江以外の場所では、この句のおおらかさは、あらわすことは難しいと思う。司馬さんも、行く春は近江の人と惜しまねば、句のむこうの景観のひろやかさや晩春の駘蕩たる気分があらわれ出て来ない、と書いている。湖水がしきりに蒸発して春霞がたち、春と近江の人情とがあい、この句を味わうには「近江」を他の国名に変えてみれば、句として成り立たなくなるというのである。

 司馬さんによれば、近江には、多くの例証から、独創者を出す風土があったという。たとえば、近江商人が生まれ出た地として有名になった背景については、その一郷で傑出した者が出、成功することによって、一族、一郷がまねをしたとある。つまりは、独創者をおさえつけずに、逆にほめそやす気分が、風土としてあったのだろう。工人の世界でもしかりで、国友村に次郎助をいう鍛冶が螺子の原理と製造方法について試行錯誤の末に悟ったときに、老熟者に説明すると、一同、大いに次郎助をほめたという。欧州品質賞(EFQM)でいえば、「3.人材」にあるナレッジの認知、開発、動機づけ、エンパワーメント、などにつながるものではないだろうか。また、そのような組織の風土づくりも、経営品質の求める重要な要素と考えるべきものであろう。

 加えて、近江の人々は、ブランドづくりにも長けていた。その一例として、江戸時代に松浦七兵衛という商人が、「伊吹もぐさ」の行商をはじめた話に触れている。当時、伊吹もぐさは世間での周知の度合いが低くなっていたため、七兵衛は一から宣伝しようと考えた。府内を歩いて売りひろめ、やがて利益が積みあがると吉原へゆき、一切を散財したという。そのことをくりかえすうちに、郭の評判男になった。彼は、そろそろ潮どきとみて大勢の芸者をよび、酒宴をひらいた。そのとき七兵衛は、「今宵、皆にお願いがある。これから毎夜のお客の宴席で歌う時に、伊吹もぐさの歌を交ぜて三味線に合わせて歌ふてくれまいか」と頼んだという。

 当時の吉原は、流行の発信地のような機能を持っていたから、このCMソングが大いにはやった。その後、大阪の浄瑠璃作者に『伊吹もぐさ』という浄瑠璃を作ってもらい、道頓堀と京都の誓願寺の小屋で興行させたこともあり、「もぐさ」は売れに売れた。七兵衛の遺訓が生き続けたこともあってか、そのビジネスは今日まで継承された。この場合、芸者たちも浄瑠璃作者も、ブランド戦略の強力なビジネスパートナーとして位置づけられるものであろう。方針と戦略という経営品質を考えるうえでも、参考になる話ではないか。

 余談だが、日本に伝来した鉄砲は、銃身の後部の塞ぎ(尾栓)が、ねじこみになっていた。種子島の工人は、これがわからず、代償を施してポルトガル人に聞いたところ、スパナをとりだし、ねじをゆるめて、こういうものだと見せてくれたという。知っていれば何でもないものなのだが、ねじの思想のない国にあっては、外側から見るだけでは、見当のつけようもない。経営品質におけるベンチマーキングや新たな事実との遭遇でも、同じようなことが言えそうな気がするが、いかがであろうか。

参考:司馬遼太郎(2009)『街道をゆく24<新装版>近江散歩』朝日新聞出版

以上