高橋義郎のブログ

経営品質、バランススコアカード、リスクマネジメント、ISO経営、江戸東京、などについてのコミュニティ型ブログです。

南伊予のこと

 3月に愛媛県に出張する予定があるので、この機会にと思い、南伊予に関わる司馬遼太郎の書籍を本棚から取り出し、読み直してみた。『街道をゆく14南伊予・西土佐の道』、『坂の上の雲(一)』、『花神(上)』の3冊である。
 これらの本を携えて、松山、内子、大洲、卯之町、宇和島あたりを訪ねてみたいと思っているが、与えられた時間はあまりにも短く、卯之町と宇和島あたりで時間切れになりそうだ。まずはこれらの本を読みながら、週末のスケジュールを考えることにした。
 読み直してみて、まず目に入ってきたことは、愛媛という県名が名付けられたいきさつである。愛媛は文字通り「いい女」という意味で、このような粋な名前を行政区の名称に採用しているのは、世界中にないのではないかと、司馬さんは書いている。砥部は砥石の産地で、砥部焼もそのあたりの背景から苦難の末に生まれたこと。江戸末期の蘭学者である二宮敬作が住んでいた卯之町は、「うだつ」を上げている古風な町並みの残る仲之町にスポットをあてている。そして、彼の街道の旅は、宇和島に至り、西土佐への移動で終わる。
 宇和島といえば、『花神(上)』主人公の村田蔵六、シーボルトの娘イネ、それに前述の二宮敬作との関わりである。宇和島の話しからは少し離れるが、冒頭に出てくる緒方洪庵は、人間のからだというものは、諸機械がみな各自に運動していて、それで生活をしている。その原(もと)は一個の力より生ずる、と門生に説いた。その一個の力というのを洪庵は生活力と名づけた。その生活力とは何か。かれ自身は結論をのべず、「いまだ定説あることなし」と突きはなしている。こういう洪庵の平明な合理主義が、この門にむらがった青年たちに、どれだけの思想的影響をあたえたか、はかりしれない、と司馬さんは言う。
 蔵六が、適塾の物干し台にのぼり、ひとり豆腐の皿を膝もとにひきつけておいて酒を飲むのが好きだったことも、筆者の好む情景である。そして、蘭学を通じて諸国を歩き回ることができる不思議さを、「なるほど、蘭学というのはありがたい。包丁職人と同じだ」とのくだりは、スペシャリストに共通する正直な想いであろう。結局、蔵六は宇和島藩主伊達宗城の命で、蒸気船や砲台を作ることになる。医者の道から、蔵六の人生を大きく変えた転機となったのが、宇和島であったろう。
 松山では、前回の滞在では立ち寄れなかった「坂の上の雲記念館」を訪ねてみたい。これまでも、文学記念館といわれるところは多く訪れたが、その目的のひとつに、原稿用紙に書かれた作家の筆跡を見ることであった。とくに、鎌倉や古河でのそれが妙に印象的で、むろん、大阪の司馬遼太郎記念館でもしかりで、執筆原稿のみならず、原稿用紙に書かれた書簡や手紙の類も、大いに興味をそそられた。
 正岡子規が松山の城下を詠んだ「春や昔、十五万石の城下かな」は好きな句である。もうひとつ、「梅が香を、まとめておくれ窓の風」も良い。前回、初めて松山に降り立ったとき、北陸の富山市街の情景と似た印象を持った。今回の南伊予の訪問では、旨い魚料理と酒を楽しみたい。

(追記)後日訪れた卯之町の「敬作の路地」は、冬の凛とした静寂の中にあり、その翌日に立ち寄った内子町は、梅の香りに包まれた早春の陽光の中に輝いて見えた。

(以上)