高橋義郎のブログ

経営品質、バランススコアカード、リスクマネジメント、ISO経営、江戸東京、などについてのコミュニティ型ブログです。

経営品質の散歩道(8)経営品質は終わりのないジャーニー

 日本経営品質学会という小規模な学会がある。昨年の学会は11月に開催された。その基調講演にD社のスピーカーが出講し、いままで取り組んできた職場風土変革や、組織価値観(使命・ビジョン・方針)の徹底浸透による組織活性化についての事例を紹介していた。

 筆者の記憶によれば、D社のスピーカーの方は、この変革の取り組みには、やはり10年くらい掛かりましたね、と話していた。経営品質向上の活動は、終わりなきジャーニーと呼ばれている。10年は最低の期間で、実際にはもっと長い時間をかけて取り組んでいる組織が多いと伺っている。

 10年という数字には、それなりの根拠があるようだ。『日本文明のかたち』(文春文庫)で司馬遼太郎と対談しているドナルド・キーンさんは、10年くらいかけると伝統を創り出すことができる、と話していた。

 横道にそれるが、司馬さんはキーンさんとの対談の中で、日本人の便宜主義ということに触れている。言い換えると、古来より日本には海外から多くの文明が入ってきたが、日本人はそれらの文明を日本の島国というお皿の上に乗っけるだけで、それらの真理や原理には鈍感だったのではないかということである。これは今の経営活動でも同じような傾向が見られるような思いがする。

 たとえば、欧米が生み出し発信してきた経営管理手法を、本来の目的や「肝」を理解せずに、とっかえひっかえしながら導入している組織はないだろうか。年末にあたり、心したいところだ。

参考:司馬遼太郎(著者代表)(2006)『日本文明のかたち』文芸春秋、文春文庫

以上

経営品質の散歩道(7)リーダーの形について考える

 およそ25年前、筆者の勤務していたフィリップス社は、未曾有の経営危機に陥っていたことがあった。刷新された当時の経営グループは「センチュリオン」と呼ばれる経営改革に乗り出し、その一環として、リーダーの意識変革のために今で言う「360度評価」の仕組みが、その数年後に導入された。筆者も、部下や同僚に所定の評価フォームに筆者自身に対する評価を書いてもらった覚えがある。同時に筆者も、直属の上司の評価を行った。当時の上司は二人いて、一人はオランダ人、そして他の一人は日本人だった。その評価項目は経営品質のフレームワークに類似した内容であったと記憶しているが、偶然ながら、その経験は興味あるものであった。というのは、経営品質のフレームワークに準拠して二人のリーダーを評価してみると、圧倒的にオランダ人のほうが高いスコアになったからである。そのときほど、リーダーの形ということについて考えさせられたことはなかった。

 たまたま読み直していた『坂の上の雲(七)』には、いくつかのリーダーの形を示唆する記述が見られる。その一人目は、明治時代の日露戦争でロシアの将軍であったクロパトキンである。戦争の詳細については本稿の本意ではないので同書に譲るが、司馬さんは、専制国家の官僚におけるリーダーの形について触れている。そのシーンではアメリカ合衆国大統領のセオドア・ルーズヴェルトを登場させ、専制国家は必ず負ける、という予言を語らせている。その一例として、クロパトキンは彼が承認した作戦において、味方の某大将がよく戦い功を与えられるのではないかと思われる事態を見ると、予定された自身の作戦の役割を行わず、消極的に裏切ったという。その理由は、「それをもし為して大勝をおさめれば功は某大将にゆき、ロシア陸軍における自分の地位は一時に失落する」としている。司馬さんによれば、このことは普通の国家にあっては信じがたい理由だが、専制国家の官僚というのは、国家へもたらす利益よりも自分の官僚的立場についての配慮のみで自分の行動を決定することを、ひとつのリーダーの形として述べたかったのであろう。

 二人目のリーダーの形として、司馬さんは、ロシア海軍で老朽艦隊を率い日本海海戦に参加したネボガトフ少将を紹介している。この不幸な艦隊の出航準備中には、いくつか不穏な事件が頻発し、その艦隊にとっては不吉な門出になった。しかし、顔半分を白鬚で覆ったネボガトフ司令官は、海軍とはどういうものかを体験的に知り抜いた優れた船乗りという評判があり、提督の最大の資質である人格的な魅力を備え、水兵にいたるまでボスとして敬愛されていたという。そして、兵士の士気を失わせるものは、兵士の心理を理解しない上官と、軍隊における諸悪の習慣であると考え、それさえ克服すれば兵士は厳しい訓練にも耐えるはずとの信念を持ち、この航海を始めるにあたってこの意識を徹底させた。その結果、航海が進むにつれて、徐々に水兵たちの反抗気分は薄らいでいったという。経営品質で言うところの、従業員重視の経営方針に該当するのではあるまいか。

 余談になるが、筆者自身を振り返ってみると、どちらかと言えば、外資系の企業で鍛錬されてきた上司のもとで働いていた時期のほうが、伝統的な日本の企業で累進してきた上司とのそれよりも、楽しくて働き甲斐があったような気がする。この想いは人によって異なることは言うまでもないが、経営品質における「リーダーのかたち」を考えるとき、外資型と日本型という両者のリーダーの価値観の違いというものにも、遠望していく必要があるのではないだろうか。読者の意見を待ちたい。

参考:司馬遼太郎(2016)『坂の上の雲(七)』文芸春秋、第36刷

以上

経営品質の散歩道(6)「比較」について考える

 経営品質賞のフレームワークであるビジネスエクセレンスモデル(以下、経営品質)と出会ったのは、1990年代の半ばである。はじめての出会いは、筆者が勤務していたオランダのフィリップス社でグローバル展開していた Philips Quality Award(PQA)であった。その後、PQAが欧州品質賞(EFQM)に置き換わり、日本法人で創設した経営品質部と改名したコーポレート部門が、それぞれの事業部門に対して導入企画立案と実際の運用支援をファシリテートしてきた。

 当時、米国ではマルコム・ボルドリッジ国家品質賞や日本経営品質賞が話題になりはじめたころで、オランダ本社から送られてくる資料は英文だったため、経営品質に疎かった日本法人の担当グループは、それらの経営品質賞をベンチマーキングしながら、導入作業を進めてきた。

 経営品質部を創設してから暫くして、上司の副社長であったA氏が経営品質の啓蒙書を作るアイデアを持ってきたので、その支援のために資料を集めはじめたことがあった。これが筆者にとって、大いに勉強になった。そのときに遭遇した記事に「日本人は比較することを知らないので、やがて滅びる」(司馬遼太郎(1995)『東と西』朝日新聞社朝日文庫)というふうなくだりであったと記憶している。経営品質風にいう「ベンチマーキング」であろう。本棚を整理していたら、『司馬遼太郎全講演集[5]1992-1995』が目に入った。ぱらぱらとページをめくって書かれた気づきのメモを読み直してみると、ちょうど同じような記述が出てきたので、本稿では「比較(ベンチマーキング)」について考えてみたい。

 「比較を拒絶すると国を滅ぼすことに」と題されたその項には、日本に好意を持っていたある女性の英国人ジャーナリストの話しが紹介されている。彼女が昭和2年に横浜から帰国するときに、「日本は滅びるでしょう。なぜなら、日本という国は比較ということを知らない」と言ったという。比較を知らないと、自分だけが偉いと思い始めてしまう危険がある。彼女が「日本は滅びる」と言ったのは、そこに理由があった。もしそのような人達が政権を担うようになったら、国をつぶすと予言したのである。司馬さんは更に、比較というものは冷酷無残で実にクールなものであること、よって人を傷つける場合もあるかもしれないこと、しかし比較嫌いは組織や国を停滞させ滅ぼすもの、などの危惧を示唆していたことがわかる。

 余談だが、過去に見聞したベンチマーキングと称する活動は、つくづく難しいと思うことが少なからずあった。理由のひとつは、その組織に合った最適な仕組みや手法は、長い時間をかけて自らの試行錯誤の末に、そして多くの努力の積み重ねで見いだされたものであるから、形だけ真似をしても同じ成果が得られるものではないという事実である。そのような背景から、ふたつ目の理由は「自分達には出来ないレベルであり、他の世界の話し」と早々と思い込んで諦めにも似た印象を持ってしまう傾向があったためであろう。したがって、「勉強にはなったが、ベンチマーキングの成果はなかった」といった自分勝手な結論を出してしまうことになってしまうのである。経営品質における「比較」の難しさは、今も昔も変わらないということであろうか。読者の意見を待ちたい。

参考:司馬遼太郎(2004)『司馬遼太郎全講演[5]1992-1995』朝日文庫・朝日新聞出版

(以上)

経営品質の散歩道 5.学習する組織について考える

 数年前のことだが、大学の図書館で入山氏の本を借りたことがあった。金曜日の授業が終わった後、ややリラックスした気分に浸りながら、町田で寿司をつまみながら読みふけっていたことを思い出す。彼がまだ海外で教鞭をとっていたころに出版された本で、世界の経営学者は何を考えているのかといったようなタイトルだった。内容は筆者にとって新鮮で、その中の一文にドラッカーのことについて触れていた。日本以外の経営学者はドラッカーを研究テーマにすることは少ないこと、日本での人気は説話としての人気ではないかと思ったこと、などが述べられていた記憶がある。今回の稿では、そのドラッカーについて書かれた本 『ドラッカーさんが教えてくれた経営のウソとホント』の第6章と第7章にある「学習する組織」について振り返ってみたい。

 同書は、著者の酒井氏がドラッカーと直接対話をしたことを、まとめられたものである。日本に学んだとされるピーター・センゲの「学習する組織」論のコンセプトを、組織に属するメンバーがビジョンや目標を達成するために自分自身の能力を伸ばしたり、考え方を一新したりすることによって、企業の競争力を高めていこうという組織論、と酒井氏は記している。その前提に立った上で、センゲが提示している5つの原則を紹介している。すなわち、1.自己マスタリー、2.メンタル・モデルの克服、3.共有ビジョンの構築、4.チーム学習、5.システム思考、である。

 「自己マスタリー」のマスタリーとは統御力とか勝利などの意味で、自分は人生において何を達成したいのか、そのために潜在的な能力をどう伸ばしていくのか、そのために生涯を通じて学習することが大事、と酒井氏は書いている。次の「メンタル・モデルの克服」は、我々の心に固定化されたイメージや概念の克服であり、組織メンバーが共有しているメンタル・モデルを変えていかなければ競争に勝ち残れない、という表現で説明をしている。また、「共有ビジョン」については、将来の目標とか自分たちの成すべき課題を決めることで、リーダーに求められていることは、不確実な時代にあって、自分たちが進むべき道を示すことであることを強調している。見えない未来を見て、自分たちの方向性を示せる人こそリーダーの器であろう。

 「チーム学習」については、野中氏がナレッジ・クリエーション(知の創造)を生み出すのが対話であること、創造性のある企業には対話の仕組みがあること、お互いの思いや意見を戦わせることによって自分たちが気付かない何かが生まれること、などを示唆している。そして最後に「システム思考」である。酒井氏は「木を見て森を見ず」という諺を引用し、全体から部分を理解すること、全体の視野から部分と部分の関係性を明らかにしていくことを説いている。彼によれば、システム思考は日本人にとって不得意な思考方法だとしているが、企業の構造が複雑になり、また、グローバル化が進む中で、システム思考は非常に重要な成功要因になってくると述べている。

 余談になるが、酒井氏は同書において「今の日本企業に大切なキーワードが5つある」としている。コンプライアンス、ダイバーシティ、プロフェッショナル、コラボレーション、そして、イノベーションである。この5つのキーワードを組み合わせると、法令順守以外の高い倫理観を持った企業が、性や人種、障害などにとらわれることなく多様な人材を雇い、その一人ひとりをプロとして育て上げる。そのプロたちが、企業外のプロたちとネットワークを組んで協業することでスピードアップをはかりながら、新しい革新を生み出す、というような企業の理想像が描けるという。

 私事になるが、現在お世話になっている大学院で、来年度から新たな役割を拝命することになったが、その役割のポイントを上述の5つのキーワードから選ぶとすれば「ネットワーク」になるのではないか。そのようなことを考えながら、本稿を締めくくることにする。

参考:酒井綱一郎(2010)『ドラッカーさんが教えてくれた経営のウソとホント』日本経済新聞出版社

以上

経営品質の散歩道 4.人材育成風土とブランド戦略を考える

 近江といえば、かつて仕事でよく行っていたのが彦根である。北近江の長浜にある高月や、多賀大社のある多賀にも数回足を運んだことがあるが、やはり彦根城を中心とした歴史的由来からくる風土と、そこでお世話になった方々との交流の思い出は、いまでも忘れられない。とくに春の季節が良かった。彦根駅で迎えの車を待つ晩春の夕暮れに頬を撫でる風の心地よさは、おそらく琵琶湖のあわあわとした水蒸気とともに運ばれてくる上質で由緒正しい芳香とも思えるほどであった。

 司馬さんの『近江散歩』には、芭蕉には近江でつくった句が多いとある。そのなかでも、句としてもっとも大きさを感じさせるのは『猿蓑』にある一句で、
        行く春を 近江の人と おしみける
を紹介している。この句でいう近江の人は、むろん複数であろう。この場合、近江以外の場所では、この句のおおらかさは、あらわすことは難しいと思う。司馬さんも、行く春は近江の人と惜しまねば、句のむこうの景観のひろやかさや晩春の駘蕩たる気分があらわれ出て来ない、と書いている。湖水がしきりに蒸発して春霞がたち、春と近江の人情とがあい、この句を味わうには「近江」を他の国名に変えてみれば、句として成り立たなくなるというのである。

 司馬さんによれば、近江には、多くの例証から、独創者を出す風土があったという。たとえば、近江商人が生まれ出た地として有名になった背景については、その一郷で傑出した者が出、成功することによって、一族、一郷がまねをしたとある。つまりは、独創者をおさえつけずに、逆にほめそやす気分が、風土としてあったのだろう。工人の世界でもしかりで、国友村に次郎助をいう鍛冶が螺子の原理と製造方法について試行錯誤の末に悟ったときに、老熟者に説明すると、一同、大いに次郎助をほめたという。欧州品質賞(EFQM)でいえば、「3.人材」にあるナレッジの認知、開発、動機づけ、エンパワーメント、などにつながるものではないだろうか。また、そのような組織の風土づくりも、経営品質の求める重要な要素と考えるべきものであろう。

 加えて、近江の人々は、ブランドづくりにも長けていた。その一例として、江戸時代に松浦七兵衛という商人が、「伊吹もぐさ」の行商をはじめた話に触れている。当時、伊吹もぐさは世間での周知の度合いが低くなっていたため、七兵衛は一から宣伝しようと考えた。府内を歩いて売りひろめ、やがて利益が積みあがると吉原へゆき、一切を散財したという。そのことをくりかえすうちに、郭の評判男になった。彼は、そろそろ潮どきとみて大勢の芸者をよび、酒宴をひらいた。そのとき七兵衛は、「今宵、皆にお願いがある。これから毎夜のお客の宴席で歌う時に、伊吹もぐさの歌を交ぜて三味線に合わせて歌ふてくれまいか」と頼んだという。

 当時の吉原は、流行の発信地のような機能を持っていたから、このCMソングが大いにはやった。その後、大阪の浄瑠璃作者に『伊吹もぐさ』という浄瑠璃を作ってもらい、道頓堀と京都の誓願寺の小屋で興行させたこともあり、「もぐさ」は売れに売れた。七兵衛の遺訓が生き続けたこともあってか、そのビジネスは今日まで継承された。この場合、芸者たちも浄瑠璃作者も、ブランド戦略の強力なビジネスパートナーとして位置づけられるものであろう。方針と戦略という経営品質を考えるうえでも、参考になる話ではないか。

 余談だが、日本に伝来した鉄砲は、銃身の後部の塞ぎ(尾栓)が、ねじこみになっていた。種子島の工人は、これがわからず、代償を施してポルトガル人に聞いたところ、スパナをとりだし、ねじをゆるめて、こういうものだと見せてくれたという。知っていれば何でもないものなのだが、ねじの思想のない国にあっては、外側から見るだけでは、見当のつけようもない。経営品質におけるベンチマーキングや新たな事実との遭遇でも、同じようなことが言えそうな気がするが、いかがであろうか。

参考:司馬遼太郎(2009)『街道をゆく24<新装版>近江散歩』朝日新聞出版

以上

経営品質の散歩道 3.戦略とプロセスイノベーション

 11月に大阪にゆく仕事があった。ちょうど、その前日が祝日だったので、かねてより訪ねてみたかった東大阪の司馬遼太郎記念館に立ち寄ってみた。建物の設計は、かの有名な安藤忠雄さんだそうで、展示されていた建築設計図を見てみると、ある1点からコンパスで複数の円を描いた放射線上に建物や植樹が幾何学的に配されていたのが、印象的だった。

 司馬遼太郎記念館は、いつか来てみたかったところである。道中、彼の最終執筆物となった『街道をゆく43:濃尾参州記』を読みながら来た。そのせいもあって、地下1階メインフロアーの書庫に並んでいる『名古屋叢書』や『徳川家康公伝』などの徳川家康関係の蔵書が目に飛び込んできて、なんだか嬉しかった。蔵書巡りをしているうちに、『古典落語体系』も、街道をゆくシリーズのどこかで出会った書名の記憶がある。司馬さんは、これらの資料を読みながら、あの街道をゆくシリーズを書いたのだなと、思わず感傷的になってしまった。

 さて、織田信長のことである。彼は尾張衆をひきい、勝ちがたい敵とされた今川義元の軍に挑み、ひたすら義元の首一つをとることに目的をしぼり、みごとにその目的を達した。経営でいうところの「戦略は選択と集中」という言葉が、ぴったりとあてはまる歴史的な実践事例であろう。さらに信長は、旧習の不合理を憎み、強烈な自己流の合理主義をもって物事を我流に変えた。たとえば、貴族文化である放鷹(ほうよう)は服装やマナーにうるさいものだったが、単に鷹狩りではないか、であれば獲物を多く獲ればよく、服装も仕掛けも変え、みずから猟師のようになって山野を駆けた。そのうわさが武田信玄に届いたときに、信玄を考え込ませたと、司馬さんは書いている。

 長めの槍を持たせた足軽集団も、槍先が相手に早く届くアイデア武器として、この時代では特徴のあるものだったらしい。義元を破ったときの騎兵の集団運用による奇襲戦術といい、いわゆる「プロセス・イノベーター」だったのだろう。そのようにして、三河や濃尾の兵と比べると惰弱な尾張兵をもって、強力な軍団に育てあげた。「良い(変革)プロセスが良い(卓越した)結果を生む」という、経営品質のセオリーも窺われよう。そのうえ、若いころの奇跡ともいうべき義元襲撃の勝利を、ついに生涯みずから模倣しなかったことでも凄みがある。経営の視点からも、教訓になるところだ。「過去の成功体験におぼれる」ことによって事業を危うくするといった経営者の話を聞くにつけ、そこが信長の偉いところだと、司馬さんも述懐していた。そして、その翌年2月に、司馬さんはこの世を去る。

 余談だが、義元の祖のなかで、出色の人物だったのが室町初期の今川了俊(りょうしゅん)である。彼には著作が多く、「今川状」というのも了俊の文章である。弟の仲秋を訓すという形式の家訓の書で、当時としては優れた日本語の見本というべき文章だったと、司馬さんは紹介している。やがて、民間にまでいきわたり、児童が学ぶ寺子屋の教科書にもなった。江戸初期には女子教育のための「女今川」もでき、「今川で、さらした嫁は、灰汁(あく)が抜け」という川柳にもうたわれた。あの嫁は、さすがに女今川をよく読んだだけに違っている、という意味である。経営品質に関わっておられる諸氏にも、「さすがに経営品質をよく知っているだけに、経営のセンスも人物の品格も違うね」、と尊敬の念で語られていることを信じてやまないところだ。

参考:司馬遼太郎(2009)『街道をゆく43<新装版>濃尾参州記』朝日新聞出版

以上

経営品質の散歩道 2.理念と存念について考える

 高校生の時分から、鎌倉に行くのが好きであった。東京から電車で1時間くらいということもあり、気軽に行ける観光古都の地ともなっていたのであろう。鎌倉への道中、鎌倉を舞台にした本やガイドブックを読み、ペンタックスの一眼レフカメラを携えて、四季おりおりの風景を楽しみながら、多くの寺社を訪ね歩いた。

 その鎌倉の寺の中で最も印象に残っているのは、松葉ヶ谷にある妙法寺という古寺である。裏山に続く苔むした石段が有名で、新緑のころには、シャガの白い花が緑の草むらの中に映えていて、寺全体の凛とした空気を醸し出していた。当時の住職は、どこかの大学で教鞭をとっていたような記憶がおぼろげながらあり、初夏のころに伺うと、学生と思われるグループと一緒に、草取りをしていたイメージが残っている。

 鎌倉にまつわる本が、本棚にある。その1冊が司馬遼太郎の『街道をゆく42:三浦半島記』である。鎌倉は、いうまでもなく源頼朝が幕府を開いた古都である。その頼朝には存念があったと、司馬は言う。存念とは、経営品質の用語で言えば、「理念」「あるべき姿」とも言い換えることができよう。彼の持っていた存念とは、大きくは律令制国家から武士団の利益をまもり、小さくは武士団相互の紛争を公平に裁くということである。そのためには、征夷大将軍にならなければならなかった。その職には、辺境の政治について専決権がゆるされるのだと、司馬は述べている。

 そして、その存念は、頼朝の死後、幕府の基本法のようにして残された。ただし、それを理解しているのは、ごくわずかな人達だけだという思いが、妻の政子にあったという。自分と、実家の父の北条時政、それに弟の義時ぐらいのものではないかと、政子は思い込んでいたのだそうだ。頼朝の脳裏にあった武家政権の理念は、その死後、尼になった、ときには「尼将軍」などといわれた北条政子と、その弟の義時が、たれよりもよく理解していたとすれば、政権が北条氏に移ったのは、当然だったような気がする、と司馬に言わしませている。

 つまり、経営理念という抽象概念が、幕府政治というリアルな組織的生き物を引導することができたと言わざるをえない。いわゆる、価値前提の経営を実践したとも言えるのではないだろうか。この理念というものは、とくに経営品質ばかりの話ではない。鎌倉における頼朝の存念を読み返しつつ、組織経営における理念の持つパワーと重要性というものを、改めて認識させられた思いがした。

 余談になるが、この本には、当時の経済観念らしき情景が、青砥藤綱の逸話で紹介されている。ときに、よく治まったといわれる北条時頼の世である。藤綱は、名吏として知られた財政家であり、訴訟の公平な裁き手としても名を馳せていたことが太平記に残されているという。急ぎの用ができたのであろうか、藤綱は夜中に役所に行く途中の橋の上で、いまでいう財布から銭十文を川に落とした。たかが十文であったが藤綱はあわて、人を走らせて銭五十文で松明十把(じゅっぱ)を買わせ、川を照らして十文をさがし獲た。

 この話を聞き、役所の人々が笑った。つまり、藤綱さん、四十文の損じゃありませんか。それに対して藤綱は、「あなたたちには、経世のことがわからない」と応じたという。四十文の損は個人の経済であるが、川に銭十文を失うは永久に天下の貨を失うことにある。さらにいえば、銭五十文を松明の代として散じたのは、そのぶんだけ世を賑わせることになる、と言ったという。

 以上が、いまでもある青砥橋に因んだ逸話であるが、経済という原理に思いを馳せさせてくれた、妙に印象に残る話ではあった。

参考文献:司馬遼太郎(2009)『街道をゆく42<新装版>三浦半島記』朝日新聞出版

(以上)

経営品質の散歩道 1.リーダーシップと方針展開を考える

 早いもので、今年も押し迫ってきた。年末という気分でもないが、本棚の資料を整理しようと思い立った。いざ作業を進めてみると、なかなか容易ではない。そこで3つに分類をしてみた。ひとつ目は、どうしても捨てられないもの。ふたつ目は、文句なしに手放しても良いもの。そしてみっつ目は、実はこれが一番決断に悩むところだったが、捨てるには惜しいと思えるものだ。結局は本棚から取り出しては、また本棚に戻すというものが多かったのであるが、そんな作業を繰り返しているうちに、はたと思った。捨てるのは簡単でいつでもできるが、いまいちど目を通してみて、乱読のすえにその本と出合った痕跡を残しておきたいという思いである。

 考えてみれば、毎日、経営に関わる書物や記事、論文や学生の原稿を読んでいると、情緒のある読み物に触れたくなる。とりわけ、司馬遼太郎や池波正太郎、それにコナン・ドイルが好きである。特に仕事に疲れた出張帰りには、何度も同じ本を買ってしまい、帰路の道中では読んでは頭を休めている。そのようなわけで、さっそく本棚から1冊の文庫本を取り出して、この原稿を書き始めることにした。最初に手にしたものは、筆者の勤務していたフィリップス社の本拠地に因んで、オランダの会社について書かれていた司馬遼太郎の『街道をゆく30:アイルランド紀行1』である。

 司馬によれば、ゲルマン系のオランダ人は、16世紀、世界史上最初に“ビッグ・ビジネス”という無形の文明能力を獲得した人々で、営利という一目的に対し、機械のように人間たちが部品化し、自分のポジションを心得つつ、組織を稼働させてみせるという芸をやってのけたという。16世紀のオランダ人の文明史的な大発明で、この芸当は、たとえばおなじ世紀のラテン系のスペイン人たちには望むべくもなく、ときあたかも、社会は個々の自律を要求した。たとえば銀行の書記たちが、たとえ一人でも自律的でなくなれば銀行業務という機械運動はストップせざるをえない。

 その16世紀に、スペインの無敵艦隊が英国海軍に破られた。以後、スペインは世界から衰退する。同時に、世界はビジネスができる国と、そのことが苦手な国にわかれるようになる。この時期、英国はすでにおこりつつあった産業によって、ビジネスという無形の文明的な“作用”を獲得しつつあった。英国海軍が強かったというよりも、ビジネスが海軍にまで及んでいたと解するほうがいいと、司馬は述べている。

 後年、19世紀の初めに英国艦隊のネルソン提督がナポレオンとスペインの連合艦隊を破った戦いでも、英国海軍の艦長たちがネルソンの意図や主題をよく理解し、そのつど察し、手足のように動いたことが、かれらのビジネス文明の大いなる成果であったろうと思われる。このことは、筆者が学ぶ経営品質やマネジメントシステムの「リーダーシップ」や「方針や戦略の展開」といったあたりの実践事例とも言えるであろうか。そして、英語の教科書や参考書で著名な、ネルソンが艦上で被弾して死ぬ最後のことば“I have done my duty.”は、英雄というよりも忠実に職務を果たしたビジネス人のことばに相応しい。

 余談だが、アイルランドといえば、忘れてならないのはビートルズの存在である。アイルランド人が吐き出すウイットあるいはユーモアは、死んだ鍋と言われる。相手はしばらく考えてから痛烈な皮肉もしくは揶揄であることに気づく。ビートルズがアメリカ公演したときの記者会見で、「ベートーグェンをどう思う?」と聞かれたリンゴ・スターは「いいね、とにかく彼の詩がね。」と答えて記者の幼稚な質問を愚弄している。MBE勲章をもらったときに旧軍人たちが抗議のために勲章を返上したときにも、「人を殺してもらったんじゃない。人を楽しませてもらったんだ。」とジョン・レノンが答えたそうだ。なんだか、江戸っ子のきっぷの良さとやせ我慢の風情につながるような気もして、良い心持と後味のある逸話ではないだろうか。読者の意見を待ちたい。

(参考:司馬遼太郎(2011)『街道をゆく30<新装版>愛蘭土紀行Ⅰ』朝日新聞出版)

(以上)

<バランススコアカード / リスクマネジメント公開セミナー>

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◆開催日時 : 2016年8月31日(水)
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◆開催会場 : 江戸東京博物館(両国)学習室1

◆プログラム: 第1部:マネジメントシステムの有効性を高めるバランススコア
            カードの実践的理解と活用

        第2部:ISO31000 をベースにしたリスクマネジメントの理解と
            マネジメントシステムでの活用

◆参加費用 : 第1部・第2部受講(8,000円)
        第1部または第2部のみ受講(5,000円)

◆お申込み : (株)渡辺コンサルティングオフィスまで
        URL : http://www.wco9001.com

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なぜ中期経営計画に市場・顧客の視点が見えないのか?

 やはりB2B型ビジネスの伝統的製造会社では、市場や顧客の視点を考えるのは無理なのかな?、と思いながら、某社の中期経営計画を眺めていたことがある。7月半ばにコメンテーターとして参加した、大手企業の経営企画部門が集まった会合での話だ。その会社は、卓越したエクセレントカンパニーを目指すことを中期経営計画に謳っているのであるが、例えば、ビジネスエクセレンスモデルやバランス・スコアカードのフレームワークに照らし合わせてみると、財務、変革プロセス、人財などの視点は明らかになってはいる。しかし、残念なことに、市場と顧客の視点に関する計画や目標が、あまり見られないのである。

 全く市場や顧客の視点が考慮されていないわけではない。例えば、その企業の中期経営計画では、「開発段階においては市場・顧客ニーズを的確に捕捉する」「顧客ニーズの多様化への対応」「市場・顧客に密着した開発の強化」「研究テーマ立案時の市場・顧客ニーズの視点の強化」「顧客の要望に応え最も優れた製品・サービスの提供」などの言葉が紙面に謳っている。にもかかわらず、中期経営計画の事業基盤としては、財務、モノづくり (変革プロセス)、人財の3つだけが掲載されているのは、ちょっと寂しい。それらに加えて、市場・顧客の視点として「マーケッティング基盤」とも呼ぶべきものを加えても良いのではないかと思うのであるが、どうだろうか? そうすれば、株主、社会、顧客、ビジネスパートナー、従業員などのステークホルダーを網羅できる事業基盤になるのではないか。そこに全体最適化経営のヒントがあるように思えてならない。多くの企業がホームページに中期経営計画を公開しているのは、株主向けのIRが主な目的と思われるが、そのため、戦略もよく分かるようになっていることが多いので、経営戦略に興味を持つ筆者にとってみれば、非常に有難い情報原といえる。

 そんな事をぼんやりと考えていると、7月23日付の日本経済新聞に日産化学工業を取り上げた「発掘・強い会社」の記事が目を引いた。渋沢栄一が作った老舗だそうで、同社の2017年3月期の純利益は4期続けて最高の見通しだという。快進撃を続ける秘密は世界有数の「化合物図書館」と呼ばれる同社の生物科学研究所で、所蔵する化合物は約40万点。いまでも年に5000点以上増え続けているそうで、欲しい化合物の名前をパソコンに打ち込むと、実物を自動で取り出せるという。化合物は複数の元素が化学結合によってできた物質だから、化合物のサンプル数が多いほど、新製品に結びつく種がたくさんあることになる。言い換えれば、組織の能力、BSCで言えば学習と成長の視点に該当する要因であろう。それに加えて、経営的に苦しい時期でも、高分子技術に詳しい技術者を残したことも、その要因に貢献していると言えよう。

 ところで、市場・顧客の視点のことである。この新聞記事によると、日産化学工業はどれもニッチだがシェアが高く、利益への貢献度が大きい成果を生んでいるとのことだ。ROEも14%強と高いレベルである。規模は小さいが収益率は高い企業なのだ。同社が標榜したスローガンは「祈りを掲げてテイクオフ」。その市場・顧客の視点として目指すところは、時代の変化に合わせた事業ポートフォリオの組み替え戦略」といったあたりが該当するのではないかと思える。単なる顧客重視の心構えというものではなさそうである。

 もしバランススコアカード(BSC)の「4つの視点」の因果関係が経営の全体最適化をガイドするフレームワークのひとつだとすれば、同社におけるBSCの「4つの視点」の因果関係は、次のように構成されるのではないか。読者の意見を待ちたい。

<財務の視点>
・連続最高益の更新
・規模は小さくても収益性の高い経営構造の実現
<市場・顧客の視点>
・時代の変化に合わせた事業ポートフォリオの組み替え戦略の実現
<プロセス変革の視点>
・ニッチだが高いシェアを得られる新製品輩出のプロセスの成果
<学習と成長の視点>
・化学物実物データベースとしての生物科学研究所の貢献
・高い売上高研究開発費比率と研究開発要員比率

(以上)

 

京都の等持院を訪ねて

  京都の庭園が好きである。特に枯山水の庭園を好んで巡ることが多いのだが、等持院はこれといった枯山水はないにしても、雰囲気の好きなところのひとつである。たまたま最初に訪ねたのが冬の朝だったこともあってか、静かな中に何か凛とした気分が漂っていたのが、好印象を感じたのかもしれない。

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 等持院は、南北朝時代の暦応4年(1341)に足利尊氏が夢窓国師を開山として中興し、尊氏の歿後この寺に葬り、その法名をとって等持院と名づけられたという。しばしば火災にあって荒廃し、現在の建物は江戸・文政年間(1818~30)の建立だそうだ。芙蓉池畔の清蓮亭茶室及び夢窓国師作庭と伝える池泉回遊式庭園とある。
 明治以前の日本人は庭園が好きだった、と司馬遼太郎は『この国のかたち(4)』の「庭」の節で書いているように、日本人は空間についての好みや文化に繊細な感覚を持っていたのであろう、中程度の農家でも、美しい前栽や坪庭を作って楽しんで、造形美術として真剣な対象にしていたようだという。
 庭園は当然ながら建物に付属するが、日本の場合ときに逆の場合もあり、林泉という私的な天地を作って建物のほうは、それを眺めるためのアクセントとしたものも多く見受けられる。いずれにしても、江戸時代の建物に多く出会う京都の寺々である。

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(以上)

 

鳩森八幡神社を訪ねて

  特任の授業を担当している桜美林大学には、都内のJR千駄ヶ谷駅近くに校舎がある。駅から校舎に向かって数分歩いていくと、校舎の手前に鳩森八幡神社が建っており、境内には本殿の他に能楽堂や富士塚、それに将棋堂などもある。由緒ある神社と見受けられ、千駄ヶ谷一帯の総鎮守だそうだ。

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 季節がら、『夏越の大祓』(6月30日(木)6時~祭典斎行)という看板が入口に掲げられていた。大祓式にさきがけて社殿前に茅ノ輪が設置され、知らず知らずのうちに身に付いた穢れを茅ノ輪をくぐることで清め、夏の猛暑を元気に乗り切れるよう祈願するのである。夏越の大祓には、都内のいくつかの神社をはじめとして、いままでに京都、川越、大宮の著名な神社で参列してきた。今年は、千駄ヶ谷に来るかと思いながら、校舎の入口をくぐった。

(以上)

 

無形資産価値とバランススコアカード(BSC)の再考

 およそ5年ほど前の話しである。東京と大阪の会場でISOマネジメントシステムに関係するプロジェクトの調査結果を、バランススコアカード(以下、BSC)のフレームワークにまとめて報告会で発表したことがあった。

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  報告会当日はBSCとは言わずに「経営戦略展開表」と名付けていたが、約100人くらいの聴衆からは好評をいただき、とくにBSCの4つの視点の考え方や因果関係は、ISOマネジメントシステムの領域で活動されている方々にとっては新鮮な興味を持たれたようで、報告者としては気分良く会場を後にしたものだった。
 その後、いくつかの企業の方々からお問い合わせをいただいたが、その多くは財務目標と非財務目標の因果関係と、それを実現する指標の策定についてであった。ごく簡単に言ってしまえば、無形資産価値に該当する非財務活動を如何に見える化し、有形資産価値に相当する財務目標の達成につなげられるのかといったものであった。そのような非財務指標を作れるガイドが社内にあればな、という思いが伝わってくるメッセージが多かったのである。
 その記憶もだんだんと薄れてきた今月(2016年6月)になって、日本経済新聞に「人」や「企業風土」という目に見えない無形性の資産を、どのように捉えて先を見通すのか、どういう新しい評価の尺度を考えていくべきなのか、という課題を投げかけた記事が目にとまった。その記事を要約してみると、
・外的要因に影響されず好業績を続ける企業はどこが違うのか。
・その執筆者らの調査では、それらの多くの企業では経営の目的に「働く人の幸せ」や「社会への貢献」といった精神を軸に据えていること。
・その精神から生まれる3つの無形資産は、いわば「共感資本力」と呼ぶべき源泉で、①自社が大切にする価値観を共有できる経営理念力、②社員のヤル気を高める人財育成力、③社員同志・取引先・地域社会などとの関係性を育む信頼形成力、が挙げられる。
・利益を生み出すには、他社と違う取り組みをしなくてはならないが、かつてはお金を調達して設備を拡充し、効率性を高めることが「違い」を生んだが、モノ・サービスが充足し情報やノウハウが瞬時に飛び交う今の時代は、お金や設備そのものが違いを生むことはない。
・むしろ、お金で手に入れることができない人間の発想力、知恵や工夫、お客様を感動させる心などが必要であり、「違い」を生む源泉は「人」や人の強みを引き出す「組織風土」の中に存在する。
・よって、お金の出し手である銀行や投資家にとっては、目に見えるものを評価する従来の尺度で融資先の新たな資金需要や投資先の発展性を測ることの陳腐化を意味し、新たな評価尺度が求められる。
といった内容であった。(以上は「日本経済新聞2016年6月2日夕刊」による)
 改めて以上のことを考えてみると、そこにはBSCのフレームワークを想起させるものばかりである。しかしながら、人や組織の能力(学習と成長の視点)だけがあっても片手落ちであり、それらがプロセス変革成果や顧客評価向上を押し上げ、ひいては財務や戦略の目標達成やビジョンの実現に近づけるようになることが不可欠である。いわゆる「全体最適化経営」なのである。
 ちなみに、最近のISOマネジメントシステムの審査で出合った某チームリーダーが、BSCの4つの視点を引き出してきて、経営の考え方を突き詰めれば、このBSCの4つの視点に集約されるでしょう、と呟いていたのが嬉しかった。

(以上)

 

6月の公開セミナーのご案内

 2016年4月14日以降発生しました熊本地震をはじめとする九州の一連の地震で被害を受けられた皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。一日も早く復旧されますよう、お祈り申し上げます。さて、6月に予定されています「高橋義郎の公開セミナー」のご案内をお送り致します。

◆JPCA(一般社団法人日本電子回路工業会)ショー「知財・標準化とリスク対応セミナー」

・演題 : 国際競争力を後押しする制度・仕組み・活用事例「中小企業でのISOマネジメント活用のポイント」
・日時 : 2016年6月2日(木)15;15~15:55
・会場 : JPCAショー(東京ビッグサイト)6H-共催/特別協力セミナー会場
・会費 : 無料(但し、JPCAショー入場料は別途支払い必要)
・定員 : 50席程度
・URL : http://www.jpcashow.com/show2016/jp/event/intellectual.html
皆様のご来場を、心よりお待ちしております。

 ◆「ISO31000:リスクマネジメント規格の理解と実践」
・概要 : ISO31000をベースにしたリスクマネジメントを化学工場、医療機器、食品、コンビニ等の想定事例を使って現場目線で解説。リスクマネジメントを理解する70のキーワードを中心に、SWOT分析、ISOマネジメントシステム、バランススコアカード、経営品質等のフレームワークも取り込んだ「未来の指標」であるリスクに対する取り組み手法を想定事例と演習で紹介。
・日時 : 2016年6月6日(月)9:30~17:00
・会場 : グローバルテクノ研修センター(JR高田馬場駅から徒歩5分程度)
・会費 : 有料  http://www.gtc.co.jp/semn/other_iso/rmp.html 
・定員 : 残席あり
皆様のお申込みを、心よりお待ちしております。

(以上)