高橋義郎のブログ

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日本人の均一化したがる意識

 よく聞かれる小話に、沈没する船から各国の人たちが救命ボートに乗り移る話があります。5人定員の救ボートに6人が乗り込むとすれば、誰か一人が海に飛び込まねばなりません。そのとき、納得して海に飛び込むよう仕向けるには、どの国の人に、どのように言えば良いのか。たとえば、ドイツ人には「上官の命令です」と言うのが有効だといいます。アメリカ人には「あなたには多額の保険が掛けられている」でしょうか。会社勤務時代にオランダ人の同僚が実際に語っていたことですが、オランダ人には「海の底には税金のない国がある」といえば一発だそうです。いずれも、各国民性の一般的な気質を表したジョークですが、それでは日本人には何と言えば良いのでしょうか。その答えは「皆さん、そうなさっています」でした。

 話は飛びますが、広い北海道の中で、数日間滞在したことのあるのは札幌と函館の2か所です。その他の地域を知りたくなって、司馬遼太郎の「街道をゆく15北海道の諸道」を再読してみました。まず気になったのは、江戸期に勢力を持っていた松前氏のことで、良港のある江差や函館ではなく、なぜ松前氏は北海道最南端の福山に居城地を選んだのかという素朴な疑問でした。ところが、読み進むうちに、北海道という厳寒の地でも本土とおなじような建築様式が持ち込まれ続けていることを知り、その背景には「中央」への均一化という意識が濃厚に作用していたことに関心が向いてしまいました。事実、北アジアの遊牧民などはオンドルを用いてきましたし、ロシア人は厚い壁の一部に暖炉を仕込んだペーチカにより暖を得てきました。しかし、松前藩をはじめ、北海道では本土の南方建築で間に合わせてきた文化が続いていたのです。

 もしオンドルやペーチカを使い始めれば、京を中心に発達してきた建築様式とは違ってしまい、他の日本と区別されてしまうという疎外感(あるいは危機感)を持っていたのかもしれません。司馬さんは、日本の文化と違っていると見られたくないという意識があったのではないかと同書に書いています。それは、常に中央と均一化したがる意識に影響されていることであり、そのために、日本には本格的な意味で独自な地方文化が育ったためしがないと喝破していたのです。独自の文化を造れば、中央文化と均一になれないという怖れとも言えるでしょう。

 松前氏に話を戻せば、江戸期を通じて家格をふつうの大名並みに扱われたいという思いから、松前の環境を本土に類似させたいという健気な心根が伺われます。同じような均一化したがる意識が、「皆さん、そうなさっています」という日本人の一般的気質を表すジョークにもつながっているのでしょうか。その意識は今でも日本の社会に引き継がれており、日本企業でも戦略のコモディティ化(独自性の希薄さ)が指摘される遠因と言えるかもしれません。

(参考及び出典:司馬遼太郎『街道をゆく15北海道の諸道』朝日新聞出版、2020年、第5刷)