高橋義郎のブログ

経営品質、バランススコアカード、リスクマネジメント、ISO経営、江戸東京、などについてのコミュニティ型ブログです。

ビジョンとソニーGの復活

 もう5年以上前の話になりますが、某ソニーグループの会社で、リスクマネジメントの講演をさせていただいたことがあります。同社の担当マネージャーが筆者のISO31000(リスクマネジメントの国際規格)セミナーを受講され、その後に講演の依頼があったものでした。講演の折に、同社の経営方針や戦略計画を教えてもらったのですが、そこには「感動」という言葉が散りばめられていた記憶があります。
 最近になって、ソニーグループはビジョンを明らかにして復活を遂げつつあるという新聞記事があり、同社の経営方針の説明会で語られたのは、数値目標ではなく、その代わりに「感動」という言葉が多用されていたとの報道でした。経営学の講義では、経営者のリーダーシップとともにビジョンやミッションの重要性を示唆することが儘ありますが、ソニーグループも、その例外ではなかったのだなと改めて感じました。この記事の最大の教えはビジョンを示した経営構造改革の重要性でしょう。
 感動を求めるなら、コモディティ(汎用)化した製品からは手を引き、映画や音楽といった、それまでは傍流と見なされていた事業の力をフルに活用するという、実にシンプルな方向を定めたということでしょうか。ソニーのグループ横断の資産を活用する成功事例や、ビジョン主導の業態転換のベストプラクティスを期待したいところです。
 日本の電機業界だけの話ではありませんが、「選択と集中」を叫びながら、「将来はこんな会社を目指す」という長期ビジョンが達成された事例は、残念ながら少ないように思えると、その記事は述べています。目先の収益を確保するために、かつての経営の延長線上で勝負をしている限りでは、情けないと言えるでしょう。
 ビジネスエクセレンスモデル(経営品質)でも、リーダーがビジョンを示し従業員に理解共有することの重要性から始まっています。今こそ、経営者は長期戦略を語る時だると、社説の執筆者は結んでいました。

(参考/引用:日本経済新聞、2021年5月27日)

 

桜美林学園の顧問になりました

 梅雨を迎える時期となりましたが、皆様におかれましては、お元気でご活躍のことと存じます。

 さて、6月から学校法人桜美林学園の理事長の諮問に応じる顧問(事務組織改革(ISO関連)担当)になりましたことをお知らせします。

 微力ながら同学園への恩返しの気持ちで尽力させていただきますので、皆様からの引き続きのご指導、ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

 高橋マネジメント研究所 代表 高橋義郎

 

日本企業のSATORI考

 某歴史小説家の講演録を読んでいたら、ある宗教法人主催の講演会で「悟りの境地に達すると小説が書けなくなるので私は悟らないようにしている」といった主旨の冗談話をして、聴衆の笑いを誘っていたくだりがありました。煩悩ばかりを抱えながら毎日を過ごしている筆者にとっては、悟りなどという境地は想像することが難しい概念ですが、最近の新聞記事に「SATORI」というキーワードが紹介されていて、環境の激変が成長の機会でもあると悟っている日本の経営者が少ないとの嘆きがコメントされていた記事が目にとまりました。

 SATORIとは、Society(社会)、Agility(俊敏)、Technology(技術)、Overseas(海外)、Resilience(復元)、Integration(融合)の頭文字で、その記事のコメンテーターは、日本企業の経営者に危機を乗り越えるSATORIはあるかと問いかけていたのです。環境が変わっても成長できる企業であり続けることができるのか、コモンズ投信の株式投資信託「コモンズ30ファンド」が30年間成長できる日本企業を物差しに銘柄を選んでいることに注目をしていました。10年かかる変化が1年で起きている激変の時代を迎え、SATORIは企業の生存競争に打ち勝つキーワードとして捉える必要があるのかもしれません。

 リモートワーク、データを駆使した在庫管理、会社全体を改革するデジタルトランスフォーメーション(DX)など、企業が先送りしてきた課題のマグマは、コロナが「非接触」という圧力を加えたことで噴出したことにも触れ、激変に対応できない企業は瞬く間に退場を強いられることになるのでしょう。言い換えると、30年後のビジネスの世界や生き残り企業の予想は難しいが、それまで何度も訪れる逆境を乗り越えられるかは今でも見極めることができるというのです。

 記事のコメンテーターは、2019年末と今年4月末の時価総額順位を比較しながら、Society(社会)ではエムスリー、Agility(俊敏)ではSGホールディングス、Technology(技術)ではレーザーテック、Overseas(海外)ではシマノ、Resilience(復元)ではユニ・チャーム、Integration(融合)では日本電産を企業の例として挙げています。前述のように、日本企業が環境の激変が成長の機会でもあると悟っている日本の経営者が少ないとの嘆きに加えて、変化におびえる日本の経営者像が浮かび上がる調査結果にも触れていました。

 私事ですが、企業を訪問して経営陣の話を伺うたびに、経営者や管理者の人材不足を嘆く声が多く聞かれます。今回の参考にさせていただいた記事にもあるように、「ディスラプションを乗り切る自信が大いにある」との日本企業の回答比率が中国や米国の半分にとどまり、逆に脅威と捉える経営者が主要国で最大であったという事実にも鑑み、失敗を恐れてリスクを取れない風土こそ、日本企業の将来における最も重要なリスクと言えるかもしれません。

(参考:梶原誠「30年後、その会社はあるか」日本経済新聞、2021年5月15日)

ESGが変える会計の曖昧さ

 会計の視点で企業経営を見ていくと、たとえば管理会計では固定費と変動費に分けるなどの考えが出てきます。ひとつの例を取り上げると、人件費は固定費に分類され、同じ人件費でも外部委託の費用は変動費として扱われることが多くあります。ただ、最近の議論には、既存の財務諸表は環境や社会問題に関する損益が捨象されており、企業の価値を完全には表していないのではないかとの疑念も出てきているそうです。

 そのような議論の発端は、ESG(環境・社会・ガバナンス)の様々なトライ・アンド・エラーの取り組みを通じて認識されはじめたと聞きました。日経新聞の記事によれば「温暖化につながる大量の二酸化炭素を排出することにより、企業は環境費用を外部化していることになる。そのコストは差し引かなくてもよいのか」といったような疑問も呈されていました。そして、米ハーバード・ビジネス・スクールの「インパクト加重会計イニシアチブ(IWAI)」が、そうした疑問に会計面から取り組もうという動きが始まっていることも紹介されていました。ちなみに、IWAIを主導している某教授の調査では、環境保護などのコストをさらに差し引くと、2018年にEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)が黒字だった約1700社中、540社ほどは利益が25%以上減ったと報じられています。

 この記事の中で筆者の興味を誘ったことは、給与というものは単にコストとして捉えられがちですが、利益を圧迫する費用と見なすことの妥当性でした。なぜならば、従業員への手厚い給与は、人間の社会生活を向上させるという価値を創造しているのではないかという見方もあるからです。同教授の論考では、ESGのS(社会)の論点のひとつとして「賃金の質」を取り上げ、「社会的に最低限必要で公正と考えられる水準を上回る部分の給与は、従業員の生活水準の改善や満足度の向上に結び付きやすく、したがって、費用ではなく社会的な価値の創造と考えるべき」という論考でした。たとえば、インテルは「賃金の質」のインパクトは65億ドルで、これだけの金額をインテルは社会に貢献しており、ESG投資の面でも肯定的に捉えられているという考え方です。

 会計という仕組みが曖昧さを持っているとの前提で話をすれば、ESGがその曖昧さを正していくことが可能な立場にいるわけで、その結果として企業の評価の視点がダイナミックに変化することにもなるのでしょうか。従業員の給与が、バランススコアカード(BSC)の4つの視点のどの視点に位置づけされていくのか、その因果関係の再考も含めて、今後の識者の研究を見守っていく必要があると思われます。

(参考:小平龍四郎「ESG15年、進化する会計」日本経済新聞、2021年4月20日)

パーパスと人的資本経営

 経済産業省産業人材課が「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」を設置し、その結果が昨年9月に公表されたそうです。一橋大学の伊藤邦雄氏を座長として、人材版伊藤レポートが作成されたのです。経営陣は企業理念、存在意義(パーパス)や経営戦略を明確化し、経営戦略と連動した人材戦略を策定・実行すべきことや、経営陣・取締役会・投資家の主要な3つのプレーヤーが人的資本経営の青写真を描いていくことが想定されているようです。そして、その実践には「経営戦略と人材戦略は連動しているか」「目指すべきビジネスモデルや経営戦略と現時点での人材や人材戦略とのギャップを見える化できているか」「人材戦略が実行されるプロセスの中で、組織や個人の行動変容を促すような企業文化が定着しているか」という視点を重要視しています。今後は、これらの企業事例や取り組みの進捗について調査をしていくものと思われ、経営品質/ビジネスエクセレンスモデルやバランススコアカード(BSC)のフレームワークに関連する研究情報としても期待したいところです。

 経営品質/ビジネスエクセレンスモデルやバランススコアカード(BSC)では、人材を資源というよりは無形投資の対象となるべく資本として位置付けられているものですが、ISOマネジメントシステムでは人的資源としての見方が強い印象があります。組織と個人のパーパスが重なり合うところで変革の力が生まれてくることを、伊藤邦雄氏も述べているところですが、経営品質/ビジネスエクセレンスモデルやバランススコアカード(BSC)も同様の考えを有していると理解をしています。

 新聞記事によれば、丸井グループの青井浩社長は、無形投資における人材・研究開発投資の売上収益に占める割合を指標として示していましたし、10年かかった企業文化の変革も含めてパーパスに合致した人材を培う方向を目指しているとの講演をしています。また、花王の澤田道隆会長も人的資本指標を策定し、財務指標+ESG指標+人的資本指標の3指標を構想し、人的資本は中長期の投資効果を示す指標の一つとして別建てで考えているところに同社の人的資本経営(経営戦略に連動した人材戦略)の特徴があるように思えます。

 ところで、上記の記事を読んでいると、文中にパーパスという用語が多く使われていることに気づきます。パーパス(Purpose)は目的と考えてしまいますが、経営戦略やブランディングでの用語として「存在意義」を示すとも言われています。ミッションと類似しているのかなとも思われますが、パーパスから戦略や人材まで一連のビジネスモデルを策定していくキーワードになるのでしょう。ソニーグループの会長兼社長CEOの吉田憲一郎氏は、ソニーのパーパスは「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす」だと言います。感動の主体は人であると位置づけ、そのメッセージに対して社員の共感や納得感が高まってくることが期待されているようです。

 ただ、今頃になって何故「企業価値を創造する人的資本経営」にスポットを当てた取り組みを経済産業省が始めたのか、少しばかり遅きに失するという疑問を感じるところではあります。それだけ、日本の企業社会では、人という存在が軽視されてきたのかもしれません。

 (参考:「人的資本の価値を最大限に引き出す経営とは」日本経済新聞、2021年4月27日)

360度評価に見るリーダー像

 最近の新聞記事の見出しに「360度評価」という言葉を見つけ、なんだか懐かしい気持ちになりました。その理由は、かつて勤務していた会社で1990年代前半から社員の360度評価を実施していたからでした。たしか、筆者自身も5人くらいの同僚や上司の評価を行い、自身も他の方々から評価をしてもらった記憶があります。新聞で紹介されていたアイリスオーヤマのように、評価の結果や比較データを受け取っていたかどうかは定かではないのですが、ただ、各部門のマネージャーに対する説明会で、人事の部長が「この結果はあくまでも自己開発のヒントとして使ってもらえれば良いと考えます」などと、どこか申し訳なさそうな発言があったことを覚えています。
 そのころは、360度評価といったものは経営の仕組みに取り入れられたものではなかったのでしょう。社員満足重視経営を標榜しながらも、グローバル企業がアピールする経営管理のファッションとしての性格しかなかったのかもしれません。そうでなかったにせよ、本社の企画や目指す目的が、日本支社の人材開発部長には理解が浸透していなかったのか、あるいは部下の評価結果を受け取る幹部社員の気持ちや反発を忖度(そんたく)したものだったのかもしれません。
 経営品質やビジネスエクセレンスモデルを実践してきた筆者にしてみれば、360度評価の位置づけは理解していたつもりでしたが、4月23日の日本経済新聞の記事を読みながら、改めて経営における重要性を整理することができました。360度評価採用の背景には、まずはジョブ型雇用では従来よりも従業員の実力や専門性を正確に把握しなければ機能しないことがあります。そして、自己評価と他社評価とのギャップ分析による相互コミュニケーションが必須となるはずです。また、人事成果評価への活用のみならず、上司による評価があてにならないことや、現場社員が導入を求める声があることも、360度評価採用の推進理由として無視できないと思われます。むろん、この制度を機能させるには中途半端な取り組みでは済まないことも、多くの企業事例が物語っていることも、忘れてはなりません。
 経営品質やビジネスエクセレンスモデルのフレームワークは、リーダーシップから始まっています。2015年に改訂されたISOマネジメントシステムも類似したフレームワークになりました。筆者が当時の状況を振り返ってみると、人事部門から配布された評価項目に従って上司のアセスメントを進めていくと、日本人の上司よりも他国籍の上司のほうが評価点は高かったことに気づき、改めてリーダーの役割やリーダーシップというものが何であったのか、そのあるべき姿というものを再認識させられたことを思い出しました。
 守島基博教授によれば、成果主義の誤用でプレイングマネージャー型の管理職が増え、部下の手柄を奪う問題などへの対策として360度評価が注目されたようです。八方美人の管理職を排し、厳しくてもリーダーシップに優れる人が浮上する土壌が醸成されることを期待したいと述べておられることに、注目したいところです。

(参考:「360度評価、若手・管理職から支持」日本経済新聞、2021年4月23日)

 

定年退職のご挨拶

いつも大変お世話になりまして、ありがとうございます。さて、私こと髙橋義郎は、昨日3月31日(水)をもちまして、桜美林大学を70歳で定年退職しましたことを報告申し上げます。この8年間、前半は特任教授、後半は専任教授としての在職中、多くの皆様からご厚情とご支援を賜り、誠にありがとうございました。なお、4月からは個人事業主に復帰し、髙橋マネジメント研究所所長、大学院非常勤講師、ISOマネジメントシステム認証審査員などの業務を継続し、「生涯現役」を目指して再スタートいたします。皆様方におかれましては、引き続きのご指導ご鞭撻のほど、何卒、宜しくお願い致します。まずは取り急ぎ、定年退職の報告まで。高橋義郎

磨くべきは虫の眼

 日経ビジネス誌の記事を読んでいたら、「編集工学」という言葉が目に飛び込んできました。その記事とは、編集工学者である松岡正剛氏の巻頭言談話のことで、彼は編集工学の立場から、情報が経済や社会にもたらす影響を考えてきたといいます。編集工学研究所の安藤昭子氏によれば、前出の松岡氏が編集工学という考え方を創始し、同時に編集工学研究所を創設したとのことでした。編集を非常に広義な意味で捉え、私たちを取り囲む情報を取り扱う営みはすべて編集であり、その編集の仕組みを明らかにし、社会に適応していける技術として構造化し、体系化していったものを編集工学と呼んでいます。
 松岡正剛氏の談話の中に、「小さいものを見る力」と「大きい数値」についての見解が述べられています。筆者なりの受け止め方として、小さいものを見る力が備わっていれば、その小さな観察の事実から、大きな事象が洞察できるという「力」と理解しました。そして、小さなところに亀裂が入り、それが大きなことにつながるというようなことを洞察する視点が、徐々に失われているのではないか。そんな松岡氏の危惧が感じられる記事でした。また、同氏は、「1羽の渡り鳥が落ちたという事実から、農薬や化学物質の危険性を訴える本を書いた米国の生物学者」の例も紹介しています。
 ISOマネジメントシステムの認証審査をしている組織の方々が良く話してくれる言葉のひとつに、「企業の審査では、虫の目と鳥の目で見ていくべし」というものがあります。物事の全体像を掴む視点(鳥の目)と、細かな部分を見て洞察していく視点(虫の目)とを併用しながら、そこに根本的な課題や機会を見出していく取り組み姿勢が必要とのことでしょうか。磨くべきは虫の目であり、そこから鳥の目で俯瞰した立ち位置で、組織の進むべき方向と目標を示唆できるような、いわゆる経営に資する審査が実践できるというべきでしょう。
 経営戦略が堅牢な力学的計算の上に成立しているとすれば、その計算の数式の一要素が欠けると、実現は阻害されるわけです。企業が戦略を立案するとき、小さくても、大きくても、その情報の価値の厚み(量の指標ばかりに目を奪われることなく厚みの指標が重要)に注目し洞察すべきことを、松岡氏は指摘していると思われました。

(参考/出所)
・松岡正剛「大きい価値がもてはやされる時代、磨くべきは小さいものを見る力」『日経ビジネス』、2021年03月29日号
・安藤昭子「変化を味方につける創発型チームの作り方」、2018年11月22日講演https://logmi.jp/business/articles/321144

頼朝の存念と経営理念

 企業理念という言葉があります。「理念なき企業は滅ぶ」などというタイトルの書籍も出版されていたように記憶していますが、理念、ビジョン、ミッション、方針などという用語が飛び交い、それらの違いは何ですかといった質問は、今でも時折見受けられます。
 「三浦半島記」を読んでいたら、「頼朝の存念」という項がありました。存念と理念とは類似した意味なのかなと思いながら、読み進んでみました。「三浦半島記」によれば、頼朝が鎌倉に幕府を開いた(というよりも、開くことができた)背景には、関東において訴訟を裁く人として期待されていたからのようです。当時、この地域社会というものは、荒くれ集団が走り回るような粗野な社会であったため、紛争が絶えなかったという日常問題を抱えていました。そこで頼朝の存念に触れてみると、大きくは律令制国家から武士団の利益を守り、小さくは武士団相互の紛争を公平に裁くことであり、そのためには征夷大将軍になって辺境の政治について専決権を確保する必要があったとあります。
 頼朝の存念があったからこそ、彼の死後にも、その存念が幕府の基本法のように残されたのでした。だからこそ、承久3 (1221) 年に朝廷方の後鳥羽上皇が中心となって幕府追悼の承久の乱を起こしたとき、政子は動揺する御家人や領主たちに対して有名な演説をし、彼らに頼朝の存念を思い起させることができ、結果として幕府はただちに反撃を決意し,戦いを幕府軍の圧倒的な勝利に導いたのでした。この乱の敗北によって公家政権は全面的に後退し,武家勢力が全国に及ぶことになり,特に北条氏一門を中心とする執権政治が展開されることになった歴史は、読者の皆さんもよくご存じと思います。
 ただ、彼にとって辛かったことは、それを理解していたのは、妻の政子と北条義時くらいのものではないかと思っていたことだといわれています。政子は長男頼家の民事や刑事の訴訟をさばく能力を認めていなかったため、北条時政を首座とする長老の合議制にしました。その理由は、頼家が頼朝の存念を理解していなかったことにもよるのでしょう。もし頼家が頼朝の開幕理念ともいうべき存念を理解し実践しようとしていれば、政子も頼家に不足している力量を補うべく必要な教育訓練を施し、ひょっとすると、私たちが知っている歴史は違ったものになっていた可能性もあったかもしれません。
 正しい経営の理念というものは、経営の方向を示し、経営に関わり参画するすべての人々の気持ちを一致させ、経営の源ともいうべきパワーを高めていける概念であることを、頼朝の存念からも窺えるのではないでしょうか。

(参考/出所)
・司馬遼太郎「三浦半島記」『街道をゆく42』朝日新聞出版、2009年、第1刷
・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

以上

 

岩波茂雄と教員退職理由

 たしか中学生のときだったと記憶していますが、ある先生が「岩波書店(あるいは岩波茂雄だったか)を知っているか」と私たちのクラスで問いかけたことがありました。彼がどのような話をしたのかは覚えていませんが、その後、岩波新書や岩波文庫を読むたびに、その場面を思い出します。近頃再読した「神田界隈」には、その岩波茂雄について触れていました。

 岩波茂雄は、長野県諏訪の中州村の農家で生まれ、第一高等学校に入り、東京帝国大学哲学科選科を卒業し、神田橋近くにあった私立学校の神田高等女学校で教鞭をとったようです。岩波は安い月給にもかかわらず無我夢中で教え、岩波の同級生で終生の友人も、情熱と精励とをもって報酬に頓着なく教育にあたったものは少ないと言っていたようでした。しかしながら、人間というものは熱中し集中しすぎると反動がくるものらしく、一種の無気力感が襲ってきたということでしょうか、教員をやめて転業しようと思い、紆余曲折の末に、神田高等女学校を退職して古本屋を開店したとのことでした。

 教職を退いた理由として(彼の文章によると)、「人の子を賊(そこな)ふ如きことより外(ほか)出来ない教育界より去ることにした」ということだったそうです。このような鋭い言葉を教育界に従事している者が聞けば、抵抗を感じる方々も多いと思われますが、頭の半分には抵抗感もあるけれど、残りの半分には同調する気持ちもあるという意見も聞こえてきそうな気がします。

 考えてみれば、筆者もこの8年間、大学院や大学の教員として教鞭をとってきた立場でした。岩波茂雄のような切り口のするどい文句を使う気持ちにはなれないのですが、教育面で、どのような貢献をどのくらい実践できたのかと問われれば、回答に窮する質問かもしれません。花を咲かせるには1年、木を育てるには10年、そして人材を育成するには〇年と言われます。今月末で70歳の2度目の定年退職を迎え、岩波茂雄の話を読みながら、なかなか難しい命題を背負ってきた8年間だったのだなと想う今日このごろです。

(参考/引用:司馬遼太郎「神田界隈」『街道をゆく36』朝日新聞出版、2010年、第2刷)

5つの視点で考えるISO9001

 バランススコアカード(BSC)のセミナーでよく聞かれる質問のひとつに、「BSCとISOマネジメントシステム(たとえばISO9001)との関係は」とか、「BSCをISO9001の目標管理に使うポイントは」などというものがあります。そこで、今回は上記の質問に答える説明をしてみたいと思います。まずは、企業経営の活動の流れを表すBSCの4つの視点について説明します。BSCは「財務」「顧客」「プロセス」「学習と成長」の4つの視点の因果で構成されていますが、筆者は「経営者の視点」を加えて5つの視点の間の因果関係で説明することが多くあります。この因果関係は、以下のような流れで表すことができます。

【経営者の視点】(例えば、経営のビジョン、方針、目標などを明らかにして、どのような経営の方向を示すのか?)
               ↓
【学習と成長の視点】(例えば、経営目標を達成するため、あるいは変革や改善の視点の目標を達成するために、どのような組織能力や個人能力を高めるか?)
               ↓
【変革や改善のプロセスの視点】(例えば、経営目標を達成するため、あるいは顧客の視点の目標を達成するために、どのような価値創造のプロセスを構築し成果を高めるか?)
               ↓
【顧客(あるいは社会)の視点】(例えば、経営目標を達成するため、あるいは財務の視点の目標を達成するために、どのように顧客(あるい社会)の評価を高めるか?
               ↓
【財務(あるいは企業価値)の視点】(例えば、財務の目標、あるいはどのような企業価値を高めるのか?)

  上記の5つの因果関係を言葉で説明すれば、まずは、どのような会社になりたいのか、その目指す姿を描くことから始まります。その具体的な例としては、経営ビジョンやミッション、経営方針や戦略、そして経営目標などがあるでしょう。それらで示される「なりたい姿」を実現していく基盤となるのは、組織力(技術や設備など)や個人力(力量やモチベーションなど)が考えられますので、例えば、経営目標を達成するため、あるいは変革や改善の視点の目標を達成するために、どのような組織能力や個人能力を高めるか、その目標を設定することが必要になります。そして、それらの組織力や個人力は、実際に企業や会社が生み出す価値(製品やサービスなど)を高める支援、言い換えれば、例えば、経営目標を達成するため、あるいは変革や改善の視点の目標を達成するためにつながるような目標の設定が必要になります。これを、両方の視点の因果関係と呼びます。

 そして、企業や会社が、より高い価値(より良い製品やサービスなど)を生み出す目標を設定し、例えば、経営目標を達成するため、あるいは顧客の視点の目標を達成するために、どのような価値創造のプロセスを構築し成果を高めるか、その目標と行動計画を作り実践していくことが必要でしょう。ここにも、プロセスの視点と顧客の視点との因果関係が構築されてきます。その結果、顧客が製品やサービスに対して高い評価をしてくれれば、顧客はお金を払って製品やサービスを購入してくれますから、その結果として売上や利益などの財務目標が達成できることになり、ひいては企業の価値が高まることになります。ここでも、顧客の視点と財務の視点の間に因果関係が成立します。

 一方、品質マネジメントシステム(ISO9001)は、項番4から項番10までの要求事項で構成されています。具体的に述べますと、4.組織の状況、5.リーダーシップ、6.計画、7.支援、8.運用、9.パフォーマンス評価、10.改善、とあります。これらの項番はBSCの5つの視点とマッチングしますので、BSCで目標設定すると、ISO9001の要求事項に準じた目標設定ができるという考えが成り立ちます。この考え方を前述の因果関係の流れに当てはめますと、次のようになります。

 【経営者の視点】(例えば、経営のビジョン、方針、目標などを明らかにして、どのような経営の方向を示すのか?) ☞ ISO9001の項番4,5,6に該当
               ↓
【学習と成長の視点】(例えば、経営目標を達成するため、あるいは変革や改善の視点の目標を達成するため に、どのような組織能力や個人能力を高めるか?) 
   ☞ ISO9001の項番7に該当
               ↓
【変革や改善のプロセスの視点】(例えば、経営目標を達成するため、あるいは顧客の視点の目標を達成するために、どのような価値創造のプロセスを構築し成果を高めるか?) ☞ ISO9001の項番8に該当
               ↓
【顧客(あるいは社会)の視点】(例えば、経営目標を達成するため、あるいは財務の視点の目標を達成するために、どのように顧客(あるい社会)の評価を高めるか? 
 ☞ ISO9001の項番9に該当
               ↓
【財務(あるいは企業価値)の視点】(例えば、財務の目標、あるいはどのような企業価値を高めるのか?) ☞ 項番9及び10に該当

 いかがでしょうか。もし読者の方々のISO9001の運用や改善にマンネリ化が目立ち始めたら、上記の5つの因果関係を思い起していただけると、ISO9001の規格条項の意味、すまわち、何のために目標や計画を作成し実行するのか、という要求事項の真の「こころ」や「狙い」を振り返る機会となるのではないでしょうか。

(参考:
高橋義郎『使えるバランススコアカード』PHPビジネス新書、PHP研究所、2007年)
日本工業標準審査会『品質マネジメントシステムー要求事項』日本規格協会、H27年)

毛利元就の領民撫育戦略

 もう30年ちかく前のことになりますが、勤務していた会社の用務で、たびたび広島県の三次(みよし)へ行く機会がありました。ときには広島駅からお迎えの車でゆくこともあり、あるいは時間をかけて鉄道でゆったりと北上したことも、いまでは楽しい思い出となっています。最近になって「街道をゆく21」の芸備のみちを再読してみたところ、三次のことが書かれていました。懐かしく読み進むうちに、三次へゆく途中で吉田に立ち寄っておけば良かったかなと、少し残念な気持ちになりました。その理由は、毛利元就が家督をついで拠った郡山城があったからです。元就にとって郡山城というのは、単に居城というものだけではなく、郡山という山を身ぐるみ要塞化し、そのリスクマネジメントとしての領民撫育と一郷団結主義をとっていたことを知ったからです。

 もともと元就の所領は狭く、彼が農民全員と顔なじみだったとすれば、農民と一緒にという思想が芽生えても不思議ではなかったかもしれません。そして、元就は敵である尼子の大軍が来襲したとき、領内の農民とその家族をことごとく郡山城のなかに収容してしまったのです。このことは、彼の領民撫育策が、言うだけのごまかしではなかったことを表していると考えられます。彼の戦略は、まず郡山という山城に閉じこもり、来襲軍が疲労する間に大内氏からの援軍を仰ぎ、その到来とともに尼子軍を打ち破るというものでした。そのためには、農や商と一つにならなければならない。元就は、郡山城主になったときからその策を考え続け、元就の基本的な政治思想になっていったにちがいないと司馬さんは書いています。

 考えてみれば、城内に多くの非戦闘員を入れるのですから、足手まといにもなり、食糧との闘いとなる籠城には不利であり、城の戦闘価値は大いに低下するはずですが、元就はそれを逆手にとり、収容することによって士気と団結を高めるという方向に価値の軸を移したといえます。ビジネスエクセレンスモデル(経営品質経営)におけるリーダーシップと方針・戦略、それに従業員満足といったカテゴリーを併せ考えるとき、元就の事例は大いに参考になるのではないでしょうか。

(参考/出典:司馬遼太郎「芸備のみち」『街道をゆく21』朝日新聞出版、2013年、第3刷)

中世の環濠商業都市「今井」と時勢を考える

 社会人となって就職した会社の工場が新潟県柏崎市にあります。22歳から数年間、その工場に勤務し、その後、東京新橋にあった本社へ転勤しました。その柏崎市の名前が「街道をゆく7」に出てきます。奈良の橿原市にある今井という町について書かれている稿で、この今井の町が越後柏崎にやや似ているというのです。越後柏崎は日本海に面した海港ですが、中世末期において商品流通の中心地であったということで、「におい」が似ているということでした。

 今井の環濠(かんごう)集落は「今井千軒」と戦国期に言われた町で、江戸時代を経て現在でも旧観を偲ばせる家並みが残っています。かつて筆者も出張のついでに立ち寄ってみたのですが、町中の寺や民家の中には、軍備目的ではないかと思われるほど堅牢な建物があったように、あいまいながらも記憶しています。堺の富商で茶人でもあった今井宗久などの商人を出す素地が、堺以前にこの大和の今井という商業都市にあったことは、注目に値すると司馬さんは書いています。

 今井町のホームページによれば、その成立は戦国時代末期の天文年間と考えられ、称念寺を中心とする寺内町(寺院の境内に形成された町)として発展したそうです。かつては町の周囲に九つの門が配され、防備は厳重で、富商も多く住んでいました。話を「街道をゆく7」に戻しますと、戦国期は生産性が低下した時代ではなく逆に飛躍的に上がった時代で、商品流通が発展し、「座」の古い体制が濃厚に支配している大和においても、新しい商品流通の場をつくるのが時勢の要求であり、そのような背景で今井町が出現したのではないか。そして、今井町の商権と住民を守るために自衛の兵力を保持し、一向宗の大寺をつくり、宗教と軍事と商業の3つを整合させた新形態の都市が生まれたと述べています。 

 今井町の勃興でも感じることですが、歴史やビジネスに少なからず影響を与え続けている「時勢」という要因は恐ろしいもので、この稿を再読するなかで「時勢」という不気味な存在について、改めて考えさせられた早春の夜でした。

(参考/出典:司馬遼太郎「大和・壺阪みち」『街道をゆく7』朝日新聞出版、2017年、第4刷)

コーチングとバランススコアカード(BSC)

 数日前の日本経済新聞の記事「ジョブ型雇用に上司の壁」を読んでいるうちに、もう20年ほど前になるでしょうか、勤務していた会社の管理職研修で、コーチングのワークショップに参加したことを思い出しました。ちょうどその頃、会社の内外でバランススコアカード(BSC)の研修講師をしていましたので、早速、コーチングの内容を教材の中に取り入れました。BSCは目標展開のツールあるいは考え方ですから、目標の下位展開をするときには上司と部下のコミュニケーションの良し悪しが、重要な成功要因になります。その目標展開のコミュニケーションの部分に、コーチングをはめ込んでみたのです。

 たとえばBSCによる目標展開では、上司と部下の間で話し合い、部下の目標を決めていきます。その後、部下が目標を達成しようと行動を起こす中で、壁にぶつかって上手く目標を達成することが難しくなっていたとしましょう。そのようなときに、上司は部下と話し合いを持ち、どんな様子なのか聞いてみるはずです。そこでは傾聴が必要となります。コーチングでは傾聴が7割といわれます。部下の話を聞きながら経験談やアドバイスを織り交ぜてミーティングを進めていくのですが、大切なことは、上司は部下に解決策を与えることなく、あくまで部下自身に考えさせ行動に仕向けることです。そして、上司は随時サポートを行い、部下に目標達成を成功させてモチベーションを高め、次の仕事を与えながら成長させていくという、人材育成につなげていく手法がコーチングです。

 前述した記事には、成果型評価が基本のジョブ型は納得感がないと逆効果(疑問や不満)になること、そして、上司と部下がコミュニケーションを密にして信頼関係を築くことが今まで以上に重要とあります。その手法のひとつとして、1on1(ワンオンワン)を紹介しています。いわゆる考課面談とは異なり、悩み事やキャリアの相談にのり、経営方針への疑問などを話し合うなど「部下のためのミーティング」です。すべての部下に平等に時間を割くことにも意味があります。結果が出ない本当の理由を探り、主体的な取り組みにつなげることができれば、部下や組織のパフォーマンスも上がるはずと解説しています。1on1でも傾聴やコーチング(目標達成にむけた能力や行動を引き出す)などのスキルが必要になります。そして、働き方改革は古い体質から抜け出せない上司の改革でもあると、その記事は結んでいました。

 サーバントリーダーシップという言葉があります。本当のリーダーは、部下に信頼され、部下に奉仕し、相手を導くものだといわれます。1on1やコーチングは、上司や管理職がサーバントマネージャーに変身するための彼ら自身の育成プログラムでもあると言えるでしょう。

(参考:「ジョブ型雇用に上司の壁」日本経済新聞、2021年2月17日)

後継者に恵まれた最澄と鎌倉仏教の成立

 信州というところは、京都や鎌倉とは違った意味で好感を持てる土地柄です。京の雅や鎌倉の古都の趣ではない何かが魅力を感じさせてくれるのでしょう。日本人が懐かしいと感じる情景や風景が、あちこちに存在するからなのかもしれません。長野で冬季オリンピック開催が決定したころ、ちょうど長野市内のホテルで、その報を聞いた経験があります。そのころによく宿泊していた宿舎は、今のビジネスホテルとは違って、県庁所在地の長野を彷彿とさせる宿泊設備でした。

 東京から長野に向かっていくと、その手前に上田市があり、上田市の西方に行くと別所温泉と常楽寺があります。たしか常楽寺には優美な五重塔があったと記憶していますが、「街道をゆく9」で司馬さんは別所温泉と常楽寺を訪ね、別所温泉は湯聖がひらいたところだという持論を述べていました。常楽寺は天台宗で、天台宗は最澄が興したことは歴史の授業でも学びました。

 唐から帰国後の最澄は、自分の教学を防衛することに明け暮れたために、持ち帰ったものを整理するいとまもなく、その風呂敷包みを叡山の山頂においたまま世を去りました。最澄は前半生において恵まれ、後半生においては稔りの無い抗争にひきこまれてしまい、かんじんの教学面での作業は進まなかったようです。ただ、死後は後継者に恵まれ、最澄が叡山に風呂敷包みをほとんど解きもせずに置き捨てて世を去ったあと、弟子たちが皆で風呂敷を解き、その膨大な内容を手分けして整理したり、研究したりし、この系統から無数の学僧や思考的人物が出、ついに鎌倉仏教という日本化した仏教世界を創造するにいたりました。

 一方、空海の真言宗には、そういう華やかさは、その後なかったようです。その理由は、発展する余地がないほどに空海が生前完璧なものにしてしまったからでしょう。そのため、空海の教学は後継者によって発展しなかったのです。リーダーの歴史的評価というものは、誠に難しいものであります。

(参考及び出典:司馬遼太郎「信州佐久平みち」『街道をゆく9』朝日新聞出版、2016年、第4刷)